とりあえず知らない他人と出会おうとするだけですぐ街コンだの相席居酒屋だから恐れ入るし 社会人サークルも結局異性との出会いがメインなところがほとんどで 居場所を作るために必要な同志を集める前段階で詰まってる状況だ… 技術系のコミュニティに入ろうとしたらひどいムラ社会で実質門前払い。 だからといって自分でそういったコミュニティを作る体力も無い… 孤立している大人同士を繋げる方法ってないもんだろうか? 増田たちはどうしてる?教えて欲しいんだ…
![社会人になってから家と職場以外の居場所を作るのがこんなに難しいとは思わなかった…](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/b1638cdb5807a4788e4ba3c1109a984166e095fc/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fanond.hatelabo.jp%2Fimages%2Fog-image-1500.gif)
セミナーとか勉強会で話をしていて、あるいはそのような勉強会を主催していてよくある悩みの一つが質問が出ないというのがある。 質問がでないのは、日本人が奥ゆかしいのだとか、質問するのが恥ずかしいとか、文化的な何かにその原因を求める人もいれば、講師の発表がそもそも質問を前提としていないとか、セミナーの形式にその原因を求める人もいる。 原因はなんであれ、一方通行のセミナーより、インタラクティブな質疑応答が活発にあるものの方が、参加者にとっても講演者にとってもメリットが多いと思うのだが、なかなかその価値観が共有されていない。 その問題についてFacebookで話題になっていたので、ちょっと考えをまとめてみた。 なぜ質問が必要なのか。なぜ質問が重要なのか。 勉強会などで質問が求められるのはなぜなのだろうか。もちろん質問を受けることを前提としないセミナーや講習というものはある。そうではなくて自主的な勉強
表題の件、子供の時から提唱し続けて、親から煙たがられていたんですが(「お母さん、もっと父母会以外の人と関係持ったほうがいいよ!」「は?」みたいな)、たまたま、Twitterでフォローしているid:kanoseさんが自画自賛して紹介していた記事を読んだら、 尊厳のリソースを分散させて、ポートフォリオ式投資をするという話を昔書いたが、今読んでも面白い / 他9コメント http://t.co/5EXaGTcVlV “ARTIFACT@ハテナ系 - 尊厳ポートフォリオ” http://t.co/oDJ70Bmokx— 加野瀬未友 (@kanose) 2014, 9月 11 自分がこれまで言ってきたことと同じようなことが書かれていて、「世の中、自分が思いつくことはみんな考えているものだなー」と思いつつも、ということは、それだけ汎用性がある話かもしれないので、今回書いてみることにしました。 内容は、
あのころ、誰かと会おうと思ったら、その人が自宅にいる時を見計らって電話して待ち合わせるか、その人が来そうなところで待っているしかなかった。 だから、みんなの溜まり場に行けば、特定の誰かとはともかく他の誰かには会えたし、会いたい誰かが来るまではたまたまそこにいたその人と話すなり、それぞれ黙って他の事するなりして、その時間をなんとなく共有していれば良かった。 そうしてその場に溜まっている人たちと共有するものが、結局その中の特定の誰かとも共有しているものになり、それがだんだん増えていくことで特定の誰かとも他の人とも話が通じやすくなって、お互いがどんな人かも分かっていって、どんどんなじんだ場所になっていく。 そういう形の居心地の良さがとても性に合っていた私はやがて「いつ行っても居る人」になって、本来ならとうにそこを去らなければいけない時期が来てもそこに居続けて、新たに入って来る人とも可能な限り時間
2010/09/24 9月27日から29日にかけて、「LinuxCon Japan」カンファレンスが開催される。2009年10月に開催された、リーナス・トーバルス氏も参加しての「Kernel Summit」および「Japan Linux Symposium」の成功を受けて行われるLinux開発者向けのカンファレンスだ。IBMのDan Frye氏によるキーノートをはじめ、3日間にわたってさまざまな角度からLinuxに関するセッションが行われる。 これを機に、改めてLinux開発の魅力とは何か、関係者が一堂に会して議論する意味とは何なのかを、それぞれの切り口でLinuxの開発に携わってきた国内の技術者たちに聞いた。 「交流」「不愉快な時間が減る」――開発の魅力 そもそも、Linuxカーネルおよびその周辺の開発に携わることの魅力とはいったい何だろうか。 日立製作所 システム開発研究所 Linux
何度か別の場所では書いてきましたが、いちどブログでもまとめておこうと思い、記事にしてみました。基本的には「助けてよ」というスタンスです。長くてすみません。 mixiコミュニティ管理人の現状 突然ですが、最近のmixiにおけるコミュニティの現状をご存じでしょうか。参加者数千人を超えるような大規模なコミュニティでも特に「嗜好」が関係するもの、たとえば僕の管理する「サッカー」だとか、他の例で言えば「阪神」だとかに関するコミュニティなどは、おおむね「トピックは管理人しか作成できない」設定だったり、「参加には管理人の承認が必要」な設定だったりします。はっきり言って、これって参加者からしたら窮屈以上のなにものでもありませんよね。しかし管理人目線で言わせていただくなら、このような設定にせざるを得ないのです。 なぜなら、コミュニティの管理人に与えられた機能・権限は本当に「わずか」であり、はっきり言ってコミ
あらゆる業界で、ブログやSNSなどのUGC※1を活用した新しいタイプのプロモーションが数多く実施されている。本連載では、企業が実際に行ったプロモーションの事故事例をケーススタディとして、その経緯、失敗や炎上の理由、その回避方法などを考察する。 華々しく語られる成功事例は多いが、ユーザーとの関係構築が必要なオンラインプロモーションでは、うまくいかなかった失敗事例だからこそ得られる教訓やノウハウがあるはずだ。その知見を明らかにすることで、読者のマーケティング施策に少しでも役に立てればというのがこの連載の目的だ。 ※1 User Generated Content:ユーザー発信型コンテンツ、CGMやCGCともいう。 新機能の理解促進をmixiでマスメディアを中心にした“一方向的なコミュニケーション”に限界を感じ始めている企業がユーザーを巻き込んだインタラクティブなコミュニケーションに新しい道を見
-@hassotoilet【大人が友達をつくる基本】 ・いつもと違う席に座る ・リスクのある方を選ぶ ・長い電話を1本より短い電話を3本かける ・ドタキャンされても怒らない ・コミュニティーをつくる ・相手の手数を減らす連絡をする ・相手に言って欲しいことを相手に言う #有益なことをつぶやこう 2013/04/22 19:30:32 -@hassotoilet【大人が友達をつくる基本】 ・新規開拓より関係のメンテナンスを重視 ・違う意見を尊重する ・相談できる相手を3人つくる ・感動を共有する ・人間関係のトラブルが増えることを喜ぶ ・他人の顔色をうかがわない ・正しいか間違いか決めない #有益なことをつぶやこう 2013/04/22 19:40:31 -@hassotoilet【大人が友達をつくる基本】 ・趣味派閥をつくる ・共通点を探す ・付き合いが悪い人を怒らない ・相手に高めてもら
2013-04-16 コミュニティと空気 俺にしては珍しく「書いとこうかなー」みたいなネタがいくつかあるにもかかわらず、それとは無関係に脊髄反射っぽいこと書く。たぶんいま溜めてるネタは腐る。 こちら読んでたんだけども、なんかこう、違和感があった。いや、リンク先の文章に対する違和感じゃなくて、もっと根幹的な……えーと、そう、俺は海燕さんのはてダのかなり熱心な読者だったんですよ。知ったのは途中からだけど、過去ログ遡って読むくらいの。 そんでこう……考えたんだけど……なんだ、あの、そもそも海燕さんってオタなの? 最近の動向はよく知らないけど、まあアニメも見てる。エロゲもやってる。ラノベも読んでる。状況だけ見れば、まあオタっぽい趣味だよね、といえないこともないし、なによりご当人が「オタク」というものの定義に関する文章をけっこう書いてた気がする。 でもなんか、違う。つーか俺と同じ国の住人とは思えない
「最近日本から寛容さが失われている」のは何故か - Togetterまとめ 新幹線の車内ではしゃいでいる子どもや、夜遅くまで騒いでいる大学生に対し、私達はどれだけ寛容な気持ちを保っていられるだろうか?次世代を担う子ども達の、年齢相応の振る舞いに対してさえも、寛容よりも非難が勝る人が増えているのではないだろうか? 寛容さとは正反対の、きわめて自己中心的な人達もよく見かけるようになった。自分の意に沿わない相手に攻撃的な人間や、他人に際限なく要求する人間が、モンスター○○などと呼ばれて問題視される時代でもある。*1 これらを踏まえて「昔の日本人が寛容」で「現代の日本人は寛容じゃなくなった」と結論づける人は多そうだ。少なくとも、見かけ上、日本から寛容さが失われたように見えるのはその通りかもしれない。 「身内」には寛容でも「他所者」にはそうでもなかった日本人 では昔の日本人は、本当に寛容だったのか?
ドットインストール代表のライフハックブログ
ここ数年、恋人に恵まれない人間やそういう人間ばかりのコミュニティを目にする機会が何度かあった。 彼(彼女)らは口々に出会いがないと言い、結婚の見通しを聞けば数年の内には、とかお見合いでもいい、と言う。 率直に言ってその「出会いがない」という言い訳はあまりにもナンセンス。「出会い」という、白馬の王子様がある日突然現れたり、お姫様が空から降ってきたりするようなイベントを期待するのが間違い。 そういう出会いから恋愛に発展し、幸せをつかむ人がいないわけではない。しかし、20年30年と生きてきた人間は人生の節々で何十人何百人という異性と出会ってきているのだから、その機会をこれまで見過ごしてきた人間が、今更次の出会いからチャンスをものにしようなどと考えない方がいい。次も必ず見過ごす。 ではどういう努力をすればいいのか?それは簡単、「1対1で気を許して会話できる友人を、性別問わず作る」ことだ。 これ自体
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