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ユーザビリティと考察に関するbeth321のブックマーク (3)

  • 第8回 「気持ちいいUI」の追求に熱心になりすぎて、空回りしてませんか? | gihyo.jp

    前回は、気持ちいいUIを構築する方法を開発者の視点から捉え、「⁠開発者が“⁠面倒くさくて⁠”やらなかったことが、利用者の“⁠面倒くささ⁠”の蓄積につながるのではないか⁠」⁠、そしてユーザーの面倒くささを解消してあげる方法の1つとして「ユーザーが何もしなくて良い状態を作る」ことがよいのではないか、という意見を提示しました。今回はその考察をさらに発展させ、技術者がついついやってしまいがちな「やりすぎ」について考えてみたいと思います。 チュニジアで痛感したGoogleマップの出来の良さ 筆者は8月末にチュニジアに行って来ました。チュニジアはアフリカ大陸の地中海沿岸に位置しており、アフリカの中では比較的発展を遂げている国です。フランス人などのリゾート地としても有名です。今回は家族を連れて、チュニジア人の元同僚を訪ねての旅だったのですが、筆者は基リモートで仕事をしているため、仕事を完全にストップさ

    第8回 「気持ちいいUI」の追求に熱心になりすぎて、空回りしてませんか? | gihyo.jp
  • 否定派によるフラットデザイン擁護論 - UXエンジニアになりたい人のブログ

    わたしはフラットデザインの否定派だ。 コンピューターはあらゆる物事をあらゆる角度から解決してくれる。それゆえ「なにを意図してどう解決させようとしているのか」をうまく伝えないと、とっつきづらさや失望につながってしまう。画面上の凹凸、ウインドウの形、マウスカーソル、タッチスクリーン上のめくれた紙風のエフェクトなど、UI上の様々な表現はコンピューターに『わかりやすさ』『親しみやすさ』を求めて先人たちが苦労を重ねてようやく創り上げた“共通言語”であり、UXの基礎をなすものだ。この先人の知恵と苦労の結晶を単なるオシャレさだけで破壊するのは合理性に欠ける。 というのが基的な主張だ。もっと端的に行ってしまえば、ボタンも境界もわからないような画面をみてもどう使っていいかわかんないじゃないかバカ、である。いまもその気持ちはあまり変わっていない。 しかし、最近別の視点もあるな、と思い始めたのでそれを記してみ

    否定派によるフラットデザイン擁護論 - UXエンジニアになりたい人のブログ
  • 一般人はそこまでネットを使わない - (旧姓)タケルンバ卿日記避難所

    こうやってブログを書いたり、Twitterやmixiを使ったり、またははてなアンテナやRSSリーダーで情報を集め、気に入った記事があればはてなブックマークに登録するなど、気ままにネットツールを利用していますが、こういうのを当たり前に使っていると、一般的な世界とは認識が離れていくもんです。使っている人にとっては当たり前のツールでも、知らない人・使わない人にとっては「なんじゃそりゃ」です。「自分の常識は、他人の非常識」であることは珍しくありません。 特にそれを痛感したのは学生との会話。5月はゼミのディベートの試合があったので、後輩を指導しておりました。そのため、学生と話す機会がもの凄く多かったわけですが、そこでの会話がまあ自分の認識のズレを気付かされるものでして。自分は普通、一般人と思っておりましたが、気付かないうちに奇妙な人種になっているものなんですね。 ブログは書くものではなくて読むもの

    一般人はそこまでネットを使わない - (旧姓)タケルンバ卿日記避難所
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