生きるのがめんどくさい 40歳です 40歳にもなると自分の能力や限界もみえてきて人生のピークは過ぎたかなと感じています 借金があるわけでもなく身体の調子が悪いわけでもなく今現在食べるもの住むところもありますが、生きるのがめんどうに感じています 親や妻(子供なし)がいなければ自殺をしているかもしれません そんな経験や精神状態になったかたいませんか? どのように気持ちを切り替えましたか?
このあいだ、はてなブログで、都落ちを迷っている人の記事を読んだ。 他人の言葉でまた迷う 悩む・迷うは私の日課みたいなもの - 能面ヅラ美 私は一度、都落ちしたことがある。 今となっては何故あんなことをしてしまったのだろうと思う一方、一度帰らなかったらいまだに悩んでいたとも思う。田舎者はつらいょ…。 ただただ、代償があまりにも大きすぎた。あまりに愚かで無計画で、自分の人生を台無しにしてしまうレベルのものだった。 ::::::::::::::: もともとは、社会人になった頃から、母が頻繁に「このまま東京の人になっちゃうの?」「東京での育児は大変よ」とさみしがるようになった。父も「つらくなったらいつでも辞めて帰ってきなさい」と口にしていた。仲の良い家族で、遠方のわりに私はよく帰省していた。幼いころ身体が弱かったので、「お前は生きているだけで良いから」とけっこう愛されて(?)いた。 都落ちを実行
2015/3/29追記: 子育ての本に、子育てにおける父親の役目が説明されていました。とても参考になります。ぜひ、読んでみてください。 sclo-a.hatenablog.com ☆子育ての本をたくさん読んで、気になる情報をメモするブログを始めました☆ 子育ての本をたくさん読む!ブログ 夫は娘が生まれてからずっと「父親の自覚」がない、と言ってました。 育児には協力的です。可愛いとも思うし、無力だから自分が世話をしなければいけないとも思う。 でも「父親の自覚」がない。 私(妻)の子供をお世話してあげている、という感覚だとずっと言っていました。 娘はもう3歳。inujinさんの記事を読んで、夫もそろそろ父親の自覚は出ただろうかと思い、聞いてみました。 私「そろそろ父親の自覚でてきた?」 夫「あ〜、最近、自覚出てきたかも。」 夫は、父親の自覚が出てきた理由が3つあると言います。 娘が自分のことを
「言葉の力」という言葉を、たまに耳にします。 その度に、こんなに気持ちの悪い言葉も中々ないよなと思う。ザワザワします。それがもしコピーライターが使っている言葉だとしたらなおのこと。その違和感を強く感じたのは、ちょっと昔の朝日新聞の広告でした。 言葉は感情的で、残酷で、ときに無力だ。 それでも私たちは信じている、言葉のチカラを。 ジャーナリスト宣言。 どうですかなんとなくモヤモヤする何かがありませんか?僕も最初は、そのモヤモヤの在処を突き止めることはできなかったのですが、小田嶋さんがとてつもなく鋭く射抜いてくれました。それがこの「コラムニスト宣言」です。とても好きな文章です。一部を引用します。 マジレスをすると、言葉を信じることより、言葉のうさんくささを自覚して、常に自らをいましめることが、ジャーナリストたる者が持つべき心構えの第一条だと思う。…中略…そう。言葉の残酷さを、言葉のせいにしては
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く