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史料とHistoryに関するbeth321のブックマーク (5)

  • 17世紀に出現した謎の天体、星の衝突だった

    こぎつね座CK。これまでごく普通の新星爆発の残骸と考えられていた。(Photograph by ESO/T. Kamiński) 17世紀にヨーロッパ各地の空で観測された激しい爆発は、どうやら「新星」ではなく、めったに見られない星の衝突だったとする研究成果が23日、学術誌『nature』に発表された。 天文学者たちは長い間、この天体を新星と考えていた。新星とは恒星の表面に起こる爆発のこと。恒星が一生を終える際の超新星爆発に比べると規模は小さい。 ところが発表された論文によると、17世紀の爆発の残骸である「こぎつね座CK」を詳細に調べたところ、二つの星が激しく衝突する際に起こる「レッド・トランジェント(高輝度赤色新星)」と呼ばれる現象であることがわかった。 レッド・トランジェントは比較的珍しいタイプの星の衝突とされる。今回の論文を執筆したヨーロッパ南天天文台のトマシュ・カミンスキー氏による

    17世紀に出現した謎の天体、星の衝突だった
  • 黒塗りせず「昭和天皇実録」公刊へ…宮内庁方針 : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

    宮内庁が24年がかりで編修作業を進めている昭和天皇の生涯の動静を記録した「昭和天皇実録」が今春にも完成し、新年度から順次、公刊される見通しとなった。 戦前から戦中、戦後の激動期を含めた昭和天皇の初の包括的公式記録で、一部を消す「黒塗り」はしない。新資料も含まれ、昭和史研究の基礎資料として専門家が注目するだけでなく一般にも高い関心を呼びそうだ。 天皇実録は元々、完成時の天皇に献上するために作られており、ほぼ同時期の公刊はされてこなかった。明治天皇紀は1933年(昭和8年)に完成したが、刊行は35年後の68年から。大正天皇実録は、情報公開請求により、完成から約65年後の2002年から11年まで、4回に分けてようやく公開された。当初宮内庁は、昭和天皇実録の早期公開に消極的だったが、「国民の財産でもあり、昭和天皇の事績を広く知ってもらうべきだ」として方針転換。公刊に伴う費用として2014年度予算に

  • 奈良時代に看病で休暇願、戦後不明の文書発見 : 文化 : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

    奈良時代、国家事業として行われた写経の担当者が書いた「休暇願」と、写経所の材の使用状況を記した正倉院文書が見つかった。 明治初期までに流出し、太平洋戦争後は所在不明になっていたが、東京の個人が秘蔵していたものを奈良国立博物館が調査して確認。ほぼ奈良時代当初の姿を保っており、同博物館は「流出した正倉院文書が当時のまま見つかるのは珍しく、重文級の発見」と評価している。 文書は縦約29センチ、横約25センチ。表には「万昆嶋主(まこんのしまぬし)」という名前の下級役人で経文を筆写する担当者(経師)が、重病にかかった「姑(父親の姉か妹)」の看病のために4日間の休暇を願い出た内容が墨書きされている。「天平寶字(てんぴょうほうじ)二年(758年)七月●(にじゅう)八(28)日」の日付があった。(●は廿から下の横棒を取る)

  • 大坂冬の陣の布陣図発見、合戦直後に作成か : 文化 : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

    1614年の大坂冬の陣の布陣を描いた絵図が東京都内で見つかった。 豊臣家が滅びた大坂夏の陣(1615年)の絵図は江戸後期に写されたものが多く残るが、冬の陣図は珍しい。戦いの直後に描かれた可能性もあるという。 この絵図は縦37センチ、横27センチで、表題部分は欠けている。東京・神田の古書補修業者が古書を分解中、裏紙として使用されていたのを発見した。 徳川秀忠を示す「将軍様」、家康を示す「御所様」のほか、布陣する武将名と兵数、大坂城の堀の位置や、中之島や日橋など地名が記されている。また、豊臣側に、実際には徳川側で参戦した武将「杉原長房 4万人」との記述があり、誤記とみられる。 出版文化史に詳しい大東急記念文庫(東京)の村木敬子学芸員は、陣立ての描き方や紙の古び方などから、一枚刷りの「冬の陣図」としては、「大坂城之図」(江戸東京博物館蔵)に次ぐ古さである可能性が高いと指摘。入手した安土堂書店の

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