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学問とコトバに関するbeth321のブックマーク (2)

  • 理系は使わない言葉

    世の中の文系(非理系)の人が理系チックな表現をしようとして、理系の人間が聞くと「その用法はありえねぇ!」と思うものが少なからずあります。俺が理系を代表してるかはわからないけど、あくまで主観で、違和感を感じた例をいくつか挙げてみます。 ■理論的先人の偉大な理論があれば別だが、そういうのでない限りは「論理的」であっても理論じゃありません。 ■「ベクトル」の誤用ベクトル自体は理系も使うんだけど、ベクトルは、方向という意味ではありません。なので「ベクトルは同じ方向に向かってる」とは言うが、「ベクトルは同じなんだけど大きさが違う」みたいなことは言いません。 ■加速度的に僕は絶対に使いません。加速度は値です。値というか、ベクトル。「加速的」の方がいいと思います。■力学が働くなにかしらの外部要因的影響が発生する、の意らしい。力学は学問なので、働きません。「力」のことでしょうか。斥力・引力等なら分かります

  • 「義を見てせざるは勇なきなり」はどこの国のことわざか ※追記があります - Cask Strength

    念のために最初に断っておきますが、鈴木都議のヤジは許容されるものではありません。その上で、の話です。 都議の「『義を見てせざるは勇無きなり。』日のことわざですけれども」という発言を批判している人たちに訊いてみたいことがあるんですよね。「ことわざ」の定義は何ですか?そして、「日のことわざ」の定義は何ですか?と。 今回は、たまたま、よく知られている中国古典の、たまたま、よく知られている一節が出てきたから、日固有の表現ではないということに気づいて批判しているだけではないですか。 はっきり言って「ことわざ」の定義は難しいです。藤井乙男ですら「これ極めて困難の業たり」(『諺の研究』講談社学術文庫、17頁)と言っています。私にも明解はありません。しかし、件に関わるところで結論を先に述べておきます。 「義を見て・・・」を、『論語』の一節の読み下し文を典拠として引用したものだととらえるのであれば、

    「義を見てせざるは勇なきなり」はどこの国のことわざか ※追記があります - Cask Strength
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