哲学のなんたるかがわかってるんかねえ。 なんか勘違いした偏見があるとしか思えない。 他の学問や芸術や娯楽・趣味がオッケーなら哲学もいいじゃん。 まあ、工学や法学や医学のような実学をやる気がおきなかったのはいいにしても、 この時代になんで自然科学やらないんだ?もうさんざんやりつくされた古典の文献学なんかやってるんだ?っていいたくはなる。 文系の諸君は、 わかるわからないで測るはずのところを、知っている知らないに変えて区別する。 だから、 これについて語れない者は駄目だとか、彼の著著を読んでないのなら駄目だとか そういう見分け方をする。 グローバルな大地で演算処理能力を共通の武器に切磋琢磨せず、 よりローカルなルールへと、より私の文脈で使われるタームへと、 奥へ奥へ穴を掘り寝床を作る。 つまり、賢さを、どれだけ知っているかを表すものに再定義したいのである。 どう考えた