前者を偽史で成立したマナーとして批判し、実際に歴史ある後者を推す意見を見かける。ひとつひとつを名指しはしないが、「“江戸しぐさ”“小笠原流”」といった単語で検索してみると複数ある。 両者の歴史についてくわしくはないのだが、たまたま別件で調べていた時、両者を同時に肯定的にとりあげている論文『作法学の構想』を大学サイトで見かけた。 作法学の構想 日本の伝統的礼式(たとえば小笠原流)では,作法に対する用語を儒教的人倫を基準としているためか「礼法」と称している.しかし「礼法」の「礼」では「礼式・儀礼」など、対人場面での儀式的な所作の規範に限定されるニュアンスがある。ところが伝統的作法(書)でも実際には,風呂に入る時にどちらの足から入るべきか(たとえば「中島摂津守宗次記」)など、日常のさまざまな非対面場面での動作法も含まれる。 これからの作法の構成を考えるとき,伝統的作法体に根本的に欠けていた要素が