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LIFEと増田文学に関するbeth321のブックマーク (20)

  • テトリス

    小6の時、親が離婚して母子家庭になった。父親とはその前からずっと別居していたから、家庭内に際立った変化は感じなかったけれど、苗字が変わったのがきつかった。同級生から好奇の目を向けられるのがとにかく嫌で、一時期、友達と遊ばなくなった。授業が終わると逃げるように家に帰った。 それで何をしていたかというと、部屋でずっとテトリスをしていた。布団に寝そべり、枕を高くして、毎日、何時間も。 そうこうするうちに、いつのまにか新しい苗字に馴れていた。同級生も僕の苗字のことなんて大して気にしてないことがわかった。僕はまたみんなと遊び始めた。 大学受験に失敗して浪人が決まった時も、ずっとテトリスをやってた。朝から晩まで一日中やってた。起き上がる気力もわかなかった。2週間ぐらいそうして過ごした。そのあとゆっくりと受験勉強を再開して、徐々にペースを上げ、翌年にどうにか志望校に合格することができた。 大学2年の時に

    テトリス
  • なんか結婚できた

    今年の2月に結婚したのだが、そこに至るまでの経緯がかなり変わっているので、ちょっと文章に残しておこうと思う。 彼女と最初に会ったのは13年前なのだが、最近までほとんどまともに会話したことがなかった。 最初に会ったのは留学先のトロントだった。バイトしていた和レストランで、数回だけ彼女とシフトが重なった。その店は日人の留学生を積極的に雇っていた。 彼女は僕より先に帰国した。連絡先を交換することもなく、軽く挨拶だけして別れた。特に仲良くなったわけでもなかった。 数年後、彼女はマッサージ嬢になっていた。いわゆるグレーな店ってやつだ。僕はサラリーマンになっていた。会社帰りに先輩と酒を飲んで、酔った勢いで入った店に彼女がいたのだ。体のラインがくっきり見える白いワンピースを着ていた。スカートはパンツが見えるぐらい短くて、とんでもなくエロかった。お互いに顔を見合わせて、アッという顔をしたが、それ以上は

    なんか結婚できた
  • 自走式彼女

    俺の嫁さんは自分で走る。特にプログラムされずとも、自分で考えて走る。 出会いは俺が二十八の時。働いている会社は新卒採用が全くなく、若いのが入らないので代謝が悪かった。その会社にしては珍しく新卒入社だった俺は、六年経てど部下はおろか後輩すらできず、ずっと続く「若手扱い」に辟易してた。そんなある日、自主退職者の補填として彼女が来た。当時二十七歳。見た目も少し近いが、雰囲気はシン・ゴジラに出てきた市川実日子まんま。会社が外資系だったこともあり、人事も面白みがないよりは風変わりな人材を好む傾向があったため、第一印象は「まためんどくさそうなのが…」という感じだった。 彼女は必要以上に人と馴れ合わないけれど、飲み会は割と顔を出す(ただし質問されない限り会話はせず、淡々と飲んでる)し、仕事は完璧なもんだから、一年たつ頃には「ちょっと変わったミステリアスな人」みたいなキャラで定着し、重宝される人になってい

    自走式彼女
  • 30才になってしまった。

    30才になってしまった。 つくづく思う。若さがもたらすエネルギーはすごい。10代の頃を思い返すと、とても正気だったとは思えない。 誕生日の記念に自分の人生をざっと振り返ってみたい。長くなるか、すぐに終るか、それは書いてみないとわからない。 2年前からイーストヴィレッジのセントマークスで仲間達とバーをやっている。大抵はヒップホップがかかっている。客層は黒人、日人、ヒスパニック。 日酒がメインのバーにするはずだったが、すぐにうやむやになってしまった。夏はフレンチスタイルのパナシェがよく売れる。地元の人がこれを読んだら、もう場所を特定できてしまうと思う。 大儲けとはいえないが、店はそれなりに繁盛している。僕はほぼ毎日カウンターかDJブースにいる。ちなみに趣味はボディビルで、アマチュアの大会で2回ほど入賞したことがある。 まさか自分がこんな生活を送るようになるとは思わなかった。中学生の頃は、江

    30才になってしまった。
  • 日曜日に

    へ 驚くべきことが起きました! 娘から デートに誘われたのです 7月2日、日曜に 横浜アリーナでライブがあり 娘は当は 友達と行くつもりだったそうですが 友達がどうしても行けなくなったので 代わりに僕を誘ったとのこと でもまだ決まりではありません 月末の金曜までに 誰か他の人が見つかれば そっちと行くそうです 要するに僕は 最後の手段 ギリギリの 補欠要員です 僕は平静を装って どちらでもかまわないよ それじゃあ一応 日曜は空けておくよ と言いました しかし内心は 冷静なはずがありません まさか娘が 僕をライブに誘うなんて! そんなことは 一生無いと思ってました 娘が小5の時に 君が死んで しばらくは父娘で 仲良くやってたつもりでしたが やはり君がいなくなってから 家の中は 彩度や明度が落ち 音楽テレビの声も シャカシャカと味けが無くなり 二人ではどうにもならなかった カラ元気は

    日曜日に
  • 夜の住宅街を散歩した話

    終電間際まで残業。俺は疲れた顔をして家までの道のりをとぼとぼと歩いていた。 足取りは重い。帰ったところで、頬杖をついて指でカツカツとテーブルを打ち鳴らしているか、トドのように大口を開けながらいびきをかいて眠るしかいないからだ。どちらを想像しても、気が滅入っていた。結婚したてのころは帰宅時にいつも玄関で出迎えて笑顔を見せてくれたのに。5年目となるとしょうがないのか、と諦めている気持ちもある。 しかしながらそんな家にまっすぐ帰る気にもならず、かといって居酒屋に入って一杯引っ掛けるような気力もなく。 せめてもの抵抗、と、コンビニの角を曲がり、遠回りをすることにした。 夜の住宅地は面白い。 もう3年近く住んでいる街なのに、まったくの他人のようなよそよそしさがある。 ふと油断するとすぐに迷ってしまうようなおそろしさがある。 子供のころはよく「冒険」と称して近所を歩き回っていたっけ。 歩いている間

    夜の住宅街を散歩した話
  • お前が憎い

    http://anond.hatelabo.jp/20160728000910 お前は今まで心の底から渇望したことがないんだろう。そして、求めても得られず、何年も苦しんだことがないのだろう。あまつさえ、お前にとっての「プラスマイナスゼロ」になるために、ただ「ふつう」になるためにゴミのような境遇から這い上がらなければならない人間のことなど何も気にかけていないのだろうな。 俺はそれが許せない。 お前のように、何も求めずとも得てきた人間。 健康的な精神、健康的な肉体、趣味友達、親、彼氏、社会的な成功、生きる理由などなくても生きられる暖かい暖かい生活をして生きたお前。 俺は憎悪する。 お前の境遇そのものではない。その境遇にあって何も感じず、その無知から軽い気持ちで他者を見下す前をこそ憎む。 お前が不幸になったときはゲラゲラと笑ってやろう。お前の子供が入院したときは鉢植えの橙百合を贈ろう。 それま

    お前が憎い
  • うちは子供の頃すごい貧乏でさ、父ちゃん死んだのが原因なんだけどね。 母..

    うちは子供の頃すごい貧乏でさ、父ちゃん死んだのが原因なんだけどね。 母ちゃん一生懸命働くんだけどさ、まあ貧乏なわけ。 それでもおれ、ねぇちゃん、母ちゃん楽しく生活してた。 おかずなんて無い日も多くて、ご飯と味噌汁が基。 たまに魚とか出てくる日はそりゃもうワクテカなんですよ。 ある日納豆が卓に出た時があって、おかめ納豆だった。 あれ3パックじゃん。 おれ、ねぇちゃん、母ちゃんの分なんだけど、母ちゃんさ最後の1パックをおれとねぇちゃんに分けてくれるわけ、母ちゃん納豆嫌いだからとか言って。 当は母ちゃん好き嫌い無いこと知ってんのに、おれもねぇちゃんも腹減ってるから遠慮無くべるんだよね。 大きくなったらさ、働いて働いて、母ちゃんに好きなもんわせてやるのが夢だったんだ。卓にさ、好きなもんズラーッと並べてさ。 でも母ちゃん仕事のし過ぎで、あっけなく死んじゃった。 おれ何もできなかった。 お

    うちは子供の頃すごい貧乏でさ、父ちゃん死んだのが原因なんだけどね。 母..
  • 派遣の女の子のフレンドリーさに騙されるな!!

    騙された。

    派遣の女の子のフレンドリーさに騙されるな!!
  • 妻はおしっこをもらしてしまった

    高速のPAで、トイレをすませるように言った。 4歳になる息子は、「大丈夫」と大見得を切っていたが、すごい内股を擦り合わせていたので、無理やり連れて行った。 はそれを見て苦笑していた。 PAを抜けると、事故による通行止めがあった。 それに伴って、1mmも進まない渋滞が発生した。 渋滞は車内の空気を淀ませる。 は明らかにいらいらした様子で、息子を叱り出したり、おれを叱ったりした。 渋滞がはじまって1時間ぐらいたったころ、は「次のPAまでどれぐらいかかるか?」と聞いてきた。 交通規制がいつ解除されるかは、分からない。 うーん。と答えあぐねていると、耳元で「おしっこにいきたい」と言われた。 なんだって? 車の現在地は高速道路の陸橋だ。 路肩めいた個所はない。 また、規制解除されたら発車を余儀なくされる位置であり、降車はよくない。 「どれぐらいがまんできそう?」 「もう無理かも」 オーケー、落

    妻はおしっこをもらしてしまった
  • 私とヨシノとシマちゃんのこと

    学生時代のサークル仲間の結婚パーティで、昔の恋人・ヨシノに会った。 ヨシノと私は当時「夫婦」と揶揄されるような公認カップルで、趣味も気も合う同士だった。彼は今、後輩のシマちゃんと付き合っている。 大学を出て数年、私と別れて数か月で始まった彼らの交際は、もう七年ほどになる。 ヨシノは私と付き合っていた頃からシマちゃんと仲が良かった。 私はそれが嫌だったけれど、ヨシノは理屈のつかない「嫌だ」に配慮するタイプではなく、シマちゃんのことは当時、私たちの地雷みたいなものだった。 だから一時期、私は自分が彼らの地雷になればいいと思ってよくヨシノと遊んだ。 趣味のイベントに誘って事して、相談に乗ったり乗られたり。もともと気が合う同士だから、ヨシノと遊ぶのは楽しかった。結局私が地雷になったのかはわからない。 それもかなり前の話で、私には今一緒に暮らす婚約者がいる。ヨシノとも友達結婚パーティくらいでしか

    私とヨシノとシマちゃんのこと
  • お金が大好きだった

    ぼくは小さいころお金が好きだった。母子家庭で家が貧乏だったからだと思う。電気やガスを止めたり、おやつをうちだけ少なくしたり、母に徹夜で内職をさせる。不憫だ、子どもが不憫だと時おり、母を涙させる。そんなお金の力に引き寄せられたのかもしれない。 小学校二年生までのぼくの趣味は、おこづかいや、数少ない親戚から年に一度もらえるお年玉、たとえば数千円。それを両替機で崩すことだった。全部10円に。お金が増えるのがすきだった。受け皿に硬化が落ちてくる、あのジャラジャラッ、という音もすきだった。全部10円玉になると、店のおばちゃんに数十枚の銅色の硬化を渡した。きびすを返し両替機に銀色の硬化をまた突っ込んだ。繰り返し。迷惑なはなしである。 小学校三年生に上がると、その行為がまったく無意味だと悟った。今度は当の意味でお金を増える方法をかんがえはじめた。勉強にも友達にもそれほど興味はなかった。 最初のぼくのビ

    お金が大好きだった
  • 定期通過駅で降りて次の駅までうろうろ歩く趣味の2人が出会うために

    彼女が欲しいから、結婚したいからコツを教えてとか言われたのでhttp://anond.hatelabo.jp/20140708154652 友人にネタにされてしまった変な趣味の持ち主です。 フェイスブックやTwitterユーザーたちに「これ、お前のことじゃね?」と次々と連絡が来て、 全体的にボカしてあるけれど、どう読んでも自分のことだったので、友人を問い詰め、発覚。まあいいんですけれど。 たくさんのコメントや、RTやいいね!を見ていると「イイハナシだ」とか「うらやまけしからん」とか まあ好意的な内容が多かったので、ホッとしています。 中でも「結局、どうやって出会ったかが不明。そこ一番大事」との指摘もあったので、 それほど大した話じゃなかったので書いておくことにします。自分のブログとか恋人との出会いを書くのも恥ずかしいので、 どうせならと初めて匿名ダイアリーを使ってみます。それでも知人友人

    定期通過駅で降りて次の駅までうろうろ歩く趣味の2人が出会うために
  • なくした青春を君と

    先日ひとまわり以上上の男性と、ご飯べてそのあと海で花火してきた。お酒も入ってて、ゲラゲラ笑いながら、ネズミ花火で逃げたりして。楽しかった。 わたしは昔すごく太っていた。根は明るいので、朗らかなデブとして嫌われはしなかったが、恋愛に関しては悲しいくらい全く縁のないまま青春を過ごした。しかし社会人になり1人暮らしを始めたら、生活スタイルが変わったからかあれよあれよと痩せて、いろいろ試したダイエットは何だったのか、と自分でも脱力するくらい簡単に標準体系になった。社会人になりお金も余裕が出て、デパートのコスメフロアのカウンターで化粧品を買ったり、まめに美容室に行ったり、痩せたから服もいっぱい買ったりした。なんとなく見た目はまともになったと思う。 さぁ、見た目のコンプレックスは払拭した!恋愛するぞ!と意気込んでも、完全に恋愛対象外として扱われてきた何十年のトラウマは重くのしかかる。女子から無理やり

    なくした青春を君と
  • 入り出をしつづけて思うこと。

    ヅカヲタである。だからこれから話すことも宝塚のことである。 他のアイドル界隈がどうなっているのか私はしらない。 そしてこれから書くことはシステムの話ではなくて、感想文にすぎない。システムについて興味が出た人はグーグルに尋ねるかお近くのヅカヲタまでお問い合わせください。 宝塚には「入り出」という文化がある。 タカラジェンヌが公演や、公演のためのお稽古に向かう時に所定の場所で待ち、やってきたタカラジェンヌにお手紙を渡す。 そしてバイバイとお見送りをする。 公演は細かいことを全部外してしまえば大きく分けて、宝塚大劇場(以下ムラ)と東京宝塚劇場(以下東宝)で行う。ムラでは公演のお稽古も行われておりそれは「お稽古待ち」という。ファンは公演を観る予定もないのにこの「お稽古待ち」の為にムラまで通う。片道1時間以上かかるファンなんて、たくさんいる。それでも、タカラジェンヌと会う一瞬の為に平気で通う。たまに

    入り出をしつづけて思うこと。
  • この20年くらいのことを考えてみた

    26歳、都会育ち。ふとこの20年くらいのことを考えてみた。 どの時代にも流行廃れはある。 たまごっち、ファービー、厚底ブーツ、ミニ四駆、ベイブレード、ビーダマン、ハイパーヨーヨー… そうゆうものを懐かしむのも楽しいんだけど、この20年くらいで圧倒的に変わって普及したものっていくつかある。 パソコン、インターネット、携帯電話なんてのはもう言い古された話だろうし、 ブラウン管が消えて液晶テレビの普及、ビデオデッキも消えて今やDVDやBlueRayだっけ(あんまり使わないからよく知らない)。 ポケベルなんてあっという間に消えた。白熱灯も消えた、LEDが世の中に爆発的に増えた。信号機が薄くなった。 地面がアスファルトだらけになった。レンガできれいに整えてある歩道なんてのも増えた。 道路の白線が増えた。白線がなく、路肩のない道路なんていくらでもあった。うちの地元なんてわざわざ交差点の地面の色がかえて

    この20年くらいのことを考えてみた
  • 場末で呑んでる

    場末の居酒屋で飲んでる。隣は50代はとうに超えてると思われるお姉さんと、しわくちゃなお爺さんのペア。熱燗を2人でつついてる。もう片方は、80kgくらいの油っぽいおじさん。常連なのか店員のこれまた小太りなオッさんと仲良さげに話してる。 俺はといえば、ドブ水みたいなハイボールをすすり、塩を振りすぎててしょっぱい、焼き過ぎのカチカチのカシラをつまみながら、楽しかった毎日を思い出している。 嫁さんが娘を連れて出て行ったのは、ホワイトデーのちょっと前。ハンコを押した離婚届けと結婚指輪を残して、まあ、ドラマみたいになんにも無くなっていた。吐きそうな年度内案件を会社に2日泊まって着替えを取りに帰った時だった。電話は不通。実家へかけても俺だと解るとスグに切られた。先週末嫁の実家に行ってみたけど、門前払いだった。 なんだったんだろう。結婚してたことは夢だったのかな。浮気もしてない。暴力も振るってない。口座番

    場末で呑んでる
  • セックスしたことない人間も淫夢を見るわけだけど…… 相手とロマンチック..

    セックスしたことない人間も淫夢を見るわけだけど…… 相手とロマンチックな雰囲気になった。 あ、これはセックスするなと。 キスをする、寝室にいく、服を脱ぐ、えらくエロい体がそこにあった。 そして。 俺はベッドにはいる準備をした。 性欲にかられてひどく焦って、でも最低限きれいな場所でいたしたい。 シーツよし、ゴムよし、ローションよし、バイブよし、さあ!ハードにファックしようぜ! 次の瞬間、俺はさっきまでキスをしていた相手を思い浮かべながら、自らの右手で自らを刺激していた。 そうなのだ、セックスをしたことがないから、夢の中でさえ自慰しかできないのだ また自慰をする夢を見てしまった。せめて夢の中だけでもセックスしたい

    セックスしたことない人間も淫夢を見るわけだけど…… 相手とロマンチック..
  • 彼がハゲを気にして絶対に頭を見せない

    人が気にしているので私からは話題にしないし、帽子の下の秘密を事細かに知ろうと思ったこともない。 外出の際、背を向けてタオルから帽子にチェンジする時間は、こちらまで神妙な面持ちになる大事な儀式。 でもさそれにしてはさ。 寝ている時がノーガードすぎ。 タオル取れすぎ。 初めて見た時は、寝ぼけていたのか胡座かいたまま寝ていて、 処刑前の落ち武者みたいだった。 あの日わたしはチョンマゲが生まれた理由を知ってしまった。 天下分け目の戦いあっての現代ですよねとか 文明開化のなんとセンセーショナルなことでしょうとか いろいろ気づきを得たけれども、彼の繊細な心にはなんの役にも立たない感想ばかり。 帽子が良く似合う人で顔も精悍だから、落ち武者状態とのギャップは激しい。 髪の効果ってすごいね。 「ハゲていてもあなたが好き」と思うし、好きになった人がハゲていただけだし、一生一緒にいたいのだけど でもやっぱり彼

    彼がハゲを気にして絶対に頭を見せない
  • 俺たちが歩む道

    ※追記あり 今日Facebookでたまたま中学の頃の同級生のページを見つけた。 当時のことを思い出しながら懐かしさ半分、好奇心半分で同級生のページを見ていった。 俺の中学校は大阪の南部にある。 関西の人なら分かるかもしれないが柄の悪さで有名だ。 女の担任をグーで殴って辞職に追い込んだり、一晩で校舎中の窓ガラスを叩き割ったりするような学校だった。 一言でいえば動物園。人間のルールは園内では通用しない。 そんな中で俺は三年を過ごした。 中学の頃は非常に内向的で自分に閉じこもりがちだった。周りもヤンキーばかりで馴染めない。普通クラスの端っこにオタクグループがあるらしいが、うちの中学にはなかった。 机に突っ伏して休み時間をやり過ごしては毎日逃げるように学校を去っていた。 当然スクールカーストは最下層。身体的なイジメには合わなかったが、心に刺さる言葉を投げかけられることは多々あった。 正直にいうと当

    俺たちが歩む道
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