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LIFEとfamilyに関するbeth321のブックマーク (40)

  • 【育児ネタ】「ホコリで人は死なないから大丈夫」に苦しめられてはいけない - デザイナーのイラストノート

    わたしはいま3歳の息子を子育て中です。いまはペースも掴めて気持ちに余裕ができましたが、1年目にはつらいことも多かったです。同じ3歳の娘さんを持つ、Webデザイナー宇都宮(mojamojayoriko)さんの記事「新米ママに告ぐ。“丁寧なくらし”に憧れるにはまだ早い【洗濯・掃除編】 – おなじといっしょ」を拝見して、いま振り返ってやっと分かった「自分がつらかったこと」を書いてみようと思います。 出産してすぐ 子どもが生まれたのは2011年4月、そこから1歳になる2012年4月までフリーランスをお休みして、専業主婦をさせてもらっていました。実はこの頃の記憶はほとんどなくw いま写真を見返せば赤ちゃんの息子はとってもかわいいのですが、当時はとてもそこまでの心の余裕がなかったです。 好きなだけ仕事をして合間に洗濯や掃除、主人が帰ってくるまでに夕飯を用意すればいい、というのんきな生活は一変しました。

    【育児ネタ】「ホコリで人は死なないから大丈夫」に苦しめられてはいけない - デザイナーのイラストノート
  • 残念な夫。

    昨年子供が生まれた。長男だ。 愛するとの間に出来た子供。 その小ささとは相反する大きい産声から、命の力強さと父になった喜びを実感した。 「守るべき者が増えた。子の為にもしっかり働いて幸せに暮らせるよう頑張らねば。」 そう心に決め、仕事の忙しい時期ではあったが毎日帰りに病院に通い、帰宅後にまた仕事を続けるという日々を何とかこなして乗り切った。 子供が出来た。嬉しい。早く3人で暮らしたい。その想いが働く原動力だった。 ちょっと長めな入院と実家療養を経て子が帰ってきた。初めての3人暮らし。 「仕事も家庭も両立するぞ!!」張り切っていた。ただ、張り切り過ぎていたのかもしれない。 夜泣きが続く、泣き止まない。 育児をしっかり理解していると、あまりよくわかってない夫。 育児のことは任せろとは言ったものの明日も仕事がある。少しは寝ないと。 ストレスフルな生活の中で幾度となくと衝突した。 そして

    残念な夫。
  • 【長め漫画】「魔法使いの娘」(娘と私のだいたい2年) - むすメモ!

    オギャーからイヤイヤまでのだいたい2年を娘視点で描きました。 魔法使いの「わたし」と「こいつ」のお話です。 「まままー」って言い始めたときたぶんご飯(まんま)のことを言ってたと思うけど 私のこと呼んでる風に聞こえた思い出。 「ママはテンパリスト」に子供視点(母の妄想)のシーンがあるんですけど 親にとって不利益なイタズラをされても「この子にはきっと使命があるんだ…! 私の方が邪魔してるのかも…!」(妄想)って思えたら楽しいだろうな〜と思います。 娘は私の中で魔法使いだったりアラブの石油王だったり茶人だったりします。 今回は魔法使い設定で描きましたが色んなバージョンがあるので ちょっとずつ描いて行きたいです\(^o^)/ にほんブログ村 LINEスタンプ発売中です! [http://line.me/S/sticker/1045467:▶︎キモかわ鯉人間の富山弁スタンプ◀︎] おしまい!

    【長め漫画】「魔法使いの娘」(娘と私のだいたい2年) - むすメモ!
  • "妻よ、家事能力の低い夫を叱らないで"への意見 - 斗比主閲子の姑日記

    以下のような依頼があったので応えます。 男子が中学で家庭科やるようになったのって1993年からか。かなりリアルタイムだったはずだけど覚えてないな。 よ、家事能力の低い夫を叱らないで  :日経済新聞 http://t.co/91kuo9cgUg— ラグ (@Lagty_in_2D) 2014, 12月 26 ツイッター検索してみるだけでも 「そんなの言い訳にするな」 「普通にやれ」 的なけっこう厳しい意見を見かけるなあ。 「最終的に男性側も育児・家事をごく普通に受け持つようになる」 状態を実現するために 「まず基礎を改めてしっかり優しく教えるべきでは」 という意見は真っ当だと思う— ラグ (@Lagty_in_2D) 2014, 12月 26 記事内でも、教育係を担えと言ってるんじゃなくて、 「そういう教育を受けられる機会・場所は必要ですよね」 と言ってるのに。 こう言っちゃなんだが

    "妻よ、家事能力の低い夫を叱らないで"への意見 - 斗比主閲子の姑日記
  • 織田信長の代々子孫の名前に異変 400年の伝統が途切れる - ライブドアニュース

    > > > > 織田信長の代々子孫の名前に異変 400年の伝統が途切れる 2014年11月16日 7時0分 ざっくり言うと織田家第18代当主が、織田家400年の伝統を破っていることが分かった代々子孫の名前に「信」の字を使ったが、次世代当主は「信」を使わなかった信長の血筋だと察され、属性で子供が判断されてしまうのを避けるためだそう織田家第18代当主 織田家の400年の伝統を破り、息子の名に「信」をつけず 2014年11月16日 7時0分  日一有名な武将・織田信長。代々子孫の名前には“信”の文字が使われてきたが、次世代の当主でその伝統が途切れるという。いったいなぜ「信」を使わなかったのか。その理由を織田家第18代当主・織田信孝(のぶたか)氏が明かす。 *  *  *  1986年に父が亡くなり、織田家の当主になりました。当主としてお参りするのは、信長がまつられている京都市北区・船岡山の建勲

    織田信長の代々子孫の名前に異変 400年の伝統が途切れる - ライブドアニュース
  • 「家事」は、レベルを上げて物理で殴れ

    結構、家事の愚痴を聞く機会が多い。 まあ、独身時代が長かったから洗濯も炊事も掃除もひと通りは出来るんだが、子育ては結構無理ゲーだ。 セーブポイントは無いわ初期パラメータ不明だわ、そもそも進んでるのかも判らん。 言いたかないが、やっぱDNAってのはあって、初期シムシティレベルの子から、HoI3のフィンランドみたいな子もいるわけだ。 あのネ、ソ連強いのよ。超大国よ。無理だってアレ。 閑話休題。 何が言いたいかって言うとだ、結構な頻度で「家事が辛い」→「家族と相談しろ」のコンボになる光景を何度も見た。 それな、はてブが大っ嫌いな精神論じゃんか。 ブラック企業のサビ残ってのは、同僚とか上司とかor夫に相談したらどうにかなんのか? ならんだろ。 だから、「家事」はレベルを上げて物理で殴れ 洗濯を物理で殴るレベルを上げよう。 ドラム式洗濯乾燥機を買え。 洋服はすべて消耗品だと思って、乾燥までやれ。

    「家事」は、レベルを上げて物理で殴れ
  • こういう話を書けばひと様に馬鹿と思われることを承知してはいるのだが、..

    こういう話を書けばひと様に馬鹿と思われることを承知してはいるのだが、今日とてもいいことがあったので記録したい。 明け方、夫がトイレに行ったので私もぼんやりと目を覚ました。とはいえまだまだ眠いので寝がえりを打ってすぐに寝ようとしたのだが、そこに夫が戻ってきた。 ふらふらしながら布団にもぐりこむと夫は後ろから私の両肩を掴み、呂律も回らない状態で何かを呟き始めた。寝ぼけているようだ。 この人が寝言なんて珍しいな、と思いながら私は耳を澄ました。 「つま、がんばれ、つま、がんばれ。つま、だいじ。つま、とてもだいじ。いいつま。とてもいいつま。つま、がんばれ、ちょうがんばれ」 私はびっくりしてしまって、しばらく身動きもできなかった。 やっと動けるようになってから夫の手に触れて「ありがとう」と言おうとしたが、声がうまく出せなくてかすれてしまったし、夫は眠りの中に戻ってしまった。 私はなんだか急に涙が出てき

    こういう話を書けばひと様に馬鹿と思われることを承知してはいるのだが、..
  • ひと様からすれば馬鹿そのものであることを理解しつつ書くのだが、私は夫..

    ひと様からすれば馬鹿そのものであることを理解しつつ書くのだが、私は夫を世界で一番愛くるしいと思っている。うちにはが一匹いて彼も素晴らしく愛くるしいのだが、僅差で夫の方が勝っている。 とはいえ私も客観性というものをすべて喪失したわけではないので、自分のこの感情は脳内で分泌されている何かがいい感じに働いた結果の錯覚であって、181cm85kgの胸板ぶあつく眉ふとくやたら色黒でババコンガにちょっぴり似ている中年男は、他人から見ればもしかすると愛くるしくないのかもしれないくらいのことには薄々気づいている。気付いてはいるが、だからといってこの錯覚が消えるわけではなく、相変わらず夫は狂おしいほどに愛くるしいのである。 時々私は感情のフタがぱかっと外れてしまい、 「なんて可愛いの! かわいいねえ、かわいいねえ」 などと半ば叫ぶようにしながら夫に駆け寄ったりしてしまう。そんなとき夫の顔に浮かぶ表情ははっ

    ひと様からすれば馬鹿そのものであることを理解しつつ書くのだが、私は夫..
  • 夫が全てを台無しにする - トウフ系

    子供の前では父親である夫の悪口を言ってはいけない。良い所を褒めるべきだ。という事はよく言われています。 夫の帰りが遅く子供がさびしがる時も「君やママのために働いてくれているんだよ。パパだってきっとさびしいけど、がんばってるんだよ」と、持ち上げます。 朝起きるとリビングに夫のパンツや下が脱ぎっぱなしになって落ちています。事をしながら全裸になるのか、セルに吸われた跡のように卓の椅子周辺にそれらは落ちています。 何故事をしながら全裸になるのか…。 それを見た息子が「なんでパパはこんなに散らかすの!?ぼくが寝る前にせっかく部屋を片付けたのに」と言うので「パパは私たちのために働いて夜遅く帰ってきて疲れているんだよ。パパのために片付けてあげよう」とフォローします。この時私はイライラを抑え込んでハゲそうになっています。 ↑こういうかんじ 息子が「パパの会社はどこにあるの?何の仕事をしているの?」

    夫が全てを台無しにする - トウフ系
  • おかあさんの生きた痕跡は膨大すぎる。

    唯一、俺のことを心配してくれたおかあさんが死んだ。 危篤の電話があってから2時間くらいで、死亡の電話を受けた。なすすべもなかった。 おかあさんの死に目には、会えなかった。最後に、俺に言いたいことも聞けなかった。 おかあさんは、つねに裏方で尽くしてくれて、俺を叱るとか、諭すことはなかった。 自分の欲求を一切口にせず、常に家族へ黙々と尽くしてくれたおかあさん。 ごめんね、俺が手術をする判断をしなければ、今もお父さんといつも通りの生活を送っていたんだよな。 おかあさんは、俺の判断にも文句ひとつ言わず、病室で朝ドラをいつものように見て、手術室に運ばれたよね。 あの朝ドラが、おかあさんにとって、最後のテレビになったんだよね。 たぶん、続きがきになってたんだよね。テレビのカードも、あと300くらい残ってたもんね。 おかあさんは、いつも俺のことを、あんまり見なかったよね。最後になった時も。 おかあさんは

    おかあさんの生きた痕跡は膨大すぎる。
  • この世で一番恐ろしいのは見下して相手になんでもできると思い込んだバカだ!

    「子どもがかわいそう」「撮影した人は勇気がある、よくがんばった」なんて話はfacebookと2ちゃんねるの人が嫌というほど言ってるから僕からは言わない。 でも、この話はちゃんとやりたいから、書くことにした。 試されるのは自分より弱い人に接する態度だろ?ただ、1つだけ聞きたい。 「なんであんな野蛮なことを人にできるの?もたついている友達なり、彼氏なりが紐を結んでたら蹴りつけるの?大人の人間にも同じことができるほどこの人はロックンロールに生きてるの?」 …もちろん、そんな破天荒な人はいないよ。ただ、自分より弱い立場にいるからコンクリートに叩きつけたんだろ? 僕は回りくどい言い方しかできないから、もっとズバッと言ってくれる人の言葉を引用するとこうだ。 今回のAKBの事件もそうだけど、通り魔犯の供述でよくある「誰でも良かった」というのは嘘っぱちだよ。彼らは決して柔道部や相撲部屋の集団は襲わない。

    この世で一番恐ろしいのは見下して相手になんでもできると思い込んだバカだ!
  • 人生は生まれる前に親を選べるようにしないとおかしい

    生まれる前に、「この夫婦は貧乏だし仲も良くないからパス」とか、「お、芸能人の子か、でも倍率高いな」とか選択の自由がないのはおかしいよね。 選択の自由なく強制的に生まれさせられて、そのくせ「親に迷惑かけるな」とか「手間のかかる子だ」とかしまいには虐待されて殺されたり。 「お前の子に生まれたくなかったよ」とか言ったら「育ててもらってるくせに生意気言うな!」って怒られるだろうけど、経済的に支配されて選択権がないって奴隷と同じ境遇だよね。それなのに一方的に「親の愛情」とか気持ち悪い価値観を押し付けてきて、洗脳しようとする。 奴隷に向けた愛情なんてただの独占欲、支配欲だよね。金持ちが貧乏人の娘をの一人として囲ってるのと一緒じゃん(子供もいくらでも産んでいいから一夫多制みたいなもの) つまり人間は約20年間親の奴隷なんだよね。20年我慢してやっと晴れて自由の身になったら、今度は雇い主が寄生してくる

    人生は生まれる前に親を選べるようにしないとおかしい
  • 父親になったとき、あなたの脳に起きること

  • 結婚12年目で初めての結婚写真を撮る :: デイリーポータルZ

    「西村さん、なにか『見直したいこと』ってあります? 実はライフネット生命とのコラボ企画で、保険の見直しと一緒に何か『見直したいこと』あるひとを探してるんですが」 当サイト編集部の安藤さんから、そんなお話を頂いた。 見直したいこと……そうだ。見直したい、というか、今までの人生をふり返って見直したとき、ひとつだけ心残りになっていることがあった。 結婚写真についてだ。 お恥ずかしい話で恐縮なのだが、12年前に入籍した当時、結婚式はおろか結婚写真さえも撮影しなかった。 結婚式披露宴についてはお金もかかるし、そういう大げさなことはしなくてもいいかとお互い納得していた。 ただ、記念に結婚写真は撮っておきたいね、と話し合っていた。 しかし、結婚写真は普通に撮っても面白く無いから、ぼくがパイロンに扮装して、あなたは花嫁衣装着て撮ったら笑えるからそうしよう! などと、ぼくが言い出したため「え、ヤダ、普通に

  • 美術系の大学を出て専業主婦をやっている母が嫌いだった

    どうせ才能もないのに4年間ふらふらと芸術活動をして、ちょこっとだけ働いて、退職して、こんなド地方に嫁に来た母。 母は私にものすごく手と目をかけて育てた。 私は母のようにはなるまい、と思っていた。大学でやったことを仕事にして、自分の力でべていくのだ。 結構頑張って勉強した。実家から通える駅弁国立大の医学部に進学した。 医学は実学の最たるものだ。私は母とは違う。 家庭なんかもつものか。 医者になって、稼いだお金は自分のために使うのだ。4年前までそんな風に意気込んでいた。 受験、大学に入ってからの勉強のストレスか、もともとメンヘラ気質だったのか摂障害になった。 バイト代は全部費に消える。家族に隠れて夜な夜な胃に詰め込んでは吐く。 やった後は猛烈に後悔する。もうやめようって思う。でも翌日の帰りにはまたスーパーコンビニに足が向いてる。 自分が患者だったらこんな医者には死んでも診られたくない。

    美術系の大学を出て専業主婦をやっている母が嫌いだった
  • 妻が逝った

    1月に会社を退職。 精神的にいろいろきつかったようだった。 眠れない日や、精神的に不安定な日もあり、心療内科にかかったりしてみたが、「死にたい」という気持ちにはついに抗えず、死を選んでしまった。 調子の良い日に見せる笑顔が好きで、調子の悪い日を支えることができた。 少しでも調子の良い日が続くようにと、期待し、医者にかかり、薬を服用していたのだけどダメだった。 夫としてどうすればよかったのか今でも悩む。 もっと早くに仕事を辞めさせていれば。 もっと早くに病院につれていけば。 いや、合わない医者、合わない薬だったからこうなったのでは。 俺は余計なことをしたのでは。 すべて仮定、ifの話で答えが出ない。しかし最愛のを失ったからこそ、その責めは自分に向ける他なかった。 正直これからどうすればいいんだろう。 もうの笑顔に会えない。 話をすることができない。 を失った月並みな感想だけれど、当に

    妻が逝った
  • 電車の中で見かけた幼い兄弟

    「おにいちゃん、どこでおりるの?」 「ええっと、○○駅を今出たとこだから、次が○○駅で、だから次の、次の――」 「あっ、みてみて! うみだよ、おにいちゃん、うみー」 おいおい弟くん、お兄ちゃんがきみの質問に答えているんだから、最後まで聞いてあげなさいな。そんなことを思いながら、でも下の子ってのは大概そういうもんだよな、とちょっと苦笑しながらこの微笑ましい会話を聞いていた。 二人はちょうど向かいのシートに座っている。弟はを脱いで、窓のほうに体を向けていた。車内に乗客はまばらで、近くに保護者らしき人はいなかった。きっとこの兄弟は二人っきりで電車に乗っているのだろう。はじめてのおつかい的なやつかもしれない。電車に乗るというだけのことが、子供にとってはとんでもない冒険になるものだ。 さっきからお兄ちゃんは立ち上がったり座ったりして、ずっとそわそわしている。車内の案内表示や路線図に目をやったり、窓

    電車の中で見かけた幼い兄弟
  • 生まれて初めて父の死因を知った。

    なんか色々と混乱してて何から整理していいのかわからないから、書き出してみることにした。 私は1992年生まれの17歳(大学受験生)で、父が死んだのが1996年で3歳の時。今は2010年だから、14年経ってる。 父に関する記憶は、ほとんど無い。あるとしても、棺が焼却炉に入っていく場面しかもう覚えていない。 17年間生きてきて、母から父については何も教えてくれなかった。「3歳の時に事故で死んだ」くらい。 だから私は周囲の人が「父はこういう人だったんだよ」と言ってくれるのを頼りに、自分なりの父親像を描いていた。 きっと父がいたら、こうしているだろうな、とか。父さえいれば、とか思ってた。 そんなこんなで今日2010年7月、私が家の掃除をしていたら、いつも閉まっているはずの金庫が開いていた。 母が書類を持ってどこかへ急ぎ足へ行ったことから、急いでいて鍵を閉めるのを忘れていたんだと思う。 私は興味

    生まれて初めて父の死因を知った。
  • 母ちゃんがいなくなったら・・・と考えてしまった日の事。

    大学生です。思うところあって、増田に。 汚い表現?まああるから気をつけてね。 今日昼部屋でゴロゴロしてたら階下から、動物のうなり声みたいなのが聞こえてきた。 めちゃくちゃびっくりして駆け下りたら、母ちゃんがうずくまって一人で吐いてんの。もうゲェゲェと。 一瞬固まったね。 なぜなら、なんか「母ちゃんは無敵」って無意識に決め込んでたから。 今の今まで。母ちゃんが病気になるとは思わなかったなんて、自分でも笑える。いやぶっとばしたいね。 慌てて、バケツにビニール袋とペーパー入れてなかにいれて、背中をさすって吐かせてあげた。 (飲み会の介抱の知識が役に立つなんて・・・) 欲なくて朝から何もべてなかったらしく、でるのは胃液だけ。でも吐き気は止まらないらしい。 どうしようどうしようってパニックだった。20歳でも情けないものだな、現代っ子って。 けど、「母ちゃんならどうしてくれるだろうか?」って考えて

    母ちゃんがいなくなったら・・・と考えてしまった日の事。
  • 自分が幸せになるイメージが全く浮かばない

    小学校に入った頃からよく死にたいと思っていた。中学校、高校、大学、社会人になっても同じだった。どこかで聞いた「人生は辛いもの」という言葉を反芻しながら生きてきた。特に誰かにいじめられたこともなく、誰かをいじめたこともない。誰かが求めることをこなし、誰かが求める関係を維持し、それだけで生きてきた。ずっと疲れていて、ずっと眠いと思っていた。眠ること以外は何も求めずに生きてきた。幸せを感じたことはなかった。 好きな人と一緒にいるときは幸せだったかもしれない。でもそれは距離があるときだけだった。仲良くなり、長く一緒にいたいと言われると体中が拒否した。心の中の何かが強烈に拒否した。好きな人と長く一緒にいることは幸せなことではない。徐々にそう思うようになった。だから、仲良くなろうとしてきた相手を全て拒否して生きてきた。友達も好きな人も。 理由があるとすれば両親だろう。物心ついた頃から仲が悪かった。ずっ

    自分が幸せになるイメージが全く浮かばない