350便に使用されたダグラス DC-8-61(機体記号:JA8061、製造番号:45889)は、1967年(昭和42年)5月25日に製造された。同年にイースタン航空へN8775として納入され、1973年(昭和48年)に日本航空が購入していた[注釈 1]。 総飛行時間は36,955時間で、直近のA点検[注釈 2]は1982年(昭和57年)1月31日に行われていた。また、事故機は1973年(昭和48年)8月 - 1976年(昭和51年)1月まで訓練機として使用されていた。搭載されていたエンジンはプラット・アンド・ホイットニー JT3D-3Bであった[4][1][5]。事故当初は経年機であったことや訓練機で離着陸回数が多いことから、機体老朽化が原因ではないかと推定された[6]。 機長は35歳男性で、1969年(昭和44年)10月1日に日本航空へ入社した。総飛行時間は5,698時間で、その内、48