福岡県遠賀郡、水巻町(みずまきまち)にある多賀山の北のふもとに庚申塔がまつられていました。庚申塔もふくめて合計三基の石塔のうち、いちばん右側が庚申塔です。 場所:福岡県遠賀郡水巻町古賀 座標値:33.865127,130.689564 「興玉神(おきたまのかみ)」とだけ刻まれており、建立年などの文字は確認できませんでした。 中央の石塔。 むかって一番左側の石塔です。文字が消えかけており読めませんが、おそらく「阿弥陀経一石一字」と刻まれているようです。
北九州市八幡西区、町上津役(まちこうじゃく)西に鎮座する蛭子神社の境内に庚申塔が一基まつられていました。 場所:福岡県北九州市八幡西区町上津役西 座標値:33.823704,130.751575 「幸神尊天」と刻まれています。庚申塔にむかって右側面には「享保九年」が確認できますが、左側面の文字は判読できませんでした。 享保九年は西暦1724年、干支は甲辰(きのえたつ)です。 蛭子神社 蛭子神社の始原は、御牧郡上上津役村・町上津役誕生のおり、村落共同の産土神を往還沿いの古野の一角に創建したことによると思われる。以来、里人の崇敬あつく、こんにちに至っている。祭神は事代主命である。明治期ここ早田に遷座された。(境内の案内板)
場所:福岡県北九州市八幡西区畑 座標値:33.804746,130.769969 畑貯水池をぐるりとまわる道路をはしっていると、脇に庚申塔がまつられていました。 石祠とともに、縦長の自然石の庚申塔はまつられています。 庚申塔正面には「庚申□堂」と刻まれています。「□」の箇所は読みにくく、何と刻まれているのかわかりません。おそらく「祭」と刻まれているように思えます。もしそうだとすると「庚申祭堂」と刻まれていることになります。 庚申塔にむかって右側面には、「寶永戊子」という文字が確認できます。宝永年間で、干支が戊子(つちのえね)の年は宝永五年で、西暦では1708年です。 庚申塔にむかって左側面にも建立月がきざまれているようですが、読み取ることができません。かろうじて「月」だけが読めます。
場所:山口県山口市木町 座標値:34.190161,131.472919
宮若市をはしる福岡県道98号線から50mほどはずれた場所。空き地の端に、おおきな庚申塔がまつられていました。 場所:福岡県宮若市龍徳 座標値:33.738904,130.691124 風化がすすみ、庚申塔かどうか判断に困りましたが、よくよく観察してみると、「庚申尊天」という文字がかすかに確認できました。建立年などは刻まれているようでしたが、判読できませんでした。 庚申塔の裏側には、ノミで削った痕のような横線が刻まれています。 この庚申塔がまつられている、すぐ北側には、採石場のような場所があります。 地質図naviで確認すると、このあたりは砂岩・泥岩で構成されているようです。 参照:https://gbank.gsj.jp/geonavi/geonavi.php#16,33.74022,130.69181 庚申塔表面の剥がれ落ち具合から考えると、こちらの庚申塔は、おそらく泥岩でつくられたもの
初夏、田植えが終わったころや秋の稲穂が波打つころ、水辺や田の水の取り入れ口に四角い竹の棚を見ることがある。これを土地の人たちは水神棚と呼んでいる。『穂波町ものがたり』P.124 こちらの写真は福岡県嘉麻市の千手(せんず)という地区でみかけた水神棚です。2018年2月25日に撮影しました。小川というか用水路の上に、この神棚が設置されていました。 場所:福岡県嘉麻市千手 座標値:33.520793,130.717544 2023年10月13日現在、Googleストリートビューでも確認することができます。 水神棚をみたのは、このときがはじめてでした。なにか神様をまつっているのだろうということは想像できましたが、どういう神様を、どういう目的にまつっているのかはわかりませんでした。 嘉麻市以外にも、北九州市若松区の蜑住(あますみ)という地区でもみかけました。 場所:福岡県北九州市若松区蜑住 座標値:
宮若市 長井鶴(ながいづる)という地区に八所神社が鎮座します。本殿の裏側に五基の庚申塔がまつられていました。下の写真は五基の庚申塔が、すべて写っています。木製鳥居のすぐそばに一基、鳥居の奥に四基の庚申塔がまつられています。四基の庚申塔の右隣には石祠がまつられています。 庚申塔のおおざっぱな配置図です。 今回の記事では、⑤の庚申塔をご紹介します。 場所:福岡県宮若市長井鶴 座標値:33.732312,130.651855 「庚申尊天」と正面にきざまれています。庚申塔にむかって右側面に「安永五年」、左側面に「二月吉日」と刻まれています。 安永五年は西暦1776年、干支は丙申(ひのえさる)です。
宮若市 長井鶴(ながいづる)という地区に八所神社が鎮座します。本殿の裏側に五基の庚申塔がまつられていました。下の写真は五基の庚申塔が、すべて写っています。木製鳥居のすぐそばに一基、鳥居の奥に四基の庚申塔がまつられています。四基の庚申塔の右隣には石祠がまつられています。 庚申塔のおおざっぱな配置図です。 今回の記事では、④の庚申塔をご紹介します。 場所:福岡県宮若市長井鶴 座標値:33.732316,130.651862 「庚申尊天」と正面に刻まれています。庚申塔にむかって右側面に「天保九戌春」、左側面に「講中」と刻まれています。 天保九年は1838年、干支は戊戌(つちのえいぬ)です。
宮若市 長井鶴(ながいづる)という地区に八所神社が鎮座します。本殿の裏側に五基の庚申塔がまつられていました。下の写真は五基の庚申塔が、すべて写っています。木製鳥居のすぐそばに一基、鳥居の奥に四基の庚申塔がまつられています。四基の庚申塔の右隣には石祠がまつられています。 庚申塔のおおざっぱな配置図です。 今回の記事では、③の庚申塔をご紹介します。 場所:福岡県宮若市長井鶴 座標値:33.732319,130.651868 「庚申尊天敬白」と中央に刻まれ、その両側に「享保十九天」「十二月十九日」という文字が確認できます。 享保十九年は西暦1734年で、干支は甲寅(きのえとら)です。 「敬白(けいはく)」は、うやまって申し上げること、つつしんで申し上げることという意味をもつそうです参照。
宮若市 長井鶴という地区に八所神社が鎮座します。本殿の裏側に五基の庚申塔がまつられていました。下の写真は五基の庚申塔が、すべて写っています。木製鳥居のすぐそばに一基、鳥居の奥に四基の庚申塔がまつられています。四基の庚申塔の右隣には石祠がまつられています。 庚申塔のおおざっぱな配置図です。 今回の記事では、②の庚申塔をご紹介します。 場所:福岡県宮若市長井鶴 座標値:33.732321,130.651873 「謹請 庚申尊 安鎮給」と中央に刻まれており、その両側に「元禄七天」、「十二月吉日村中」と刻まれています。元禄七年は西暦1694年、干支は甲戌(きのえいぬ)です。「安鎮給」とは、ひとびとの安穏を願って刻まれる文字なのだそうです参照。
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