場所:大分県国東市国見町大熊毛 Google map ゆがんだ石段。 山王宮の裏。 先にすすむほど荒れた山道。 (座標値:33.654532,131.650412)付近

2020年9月に、大分県の国東半島(くにさきはんとう)にある山王宮を訪問しました。その際、庚申塔を参拝し、これを記事にしました。 山王宮のいっかくに祀られている庚申塔 山王宮のいっかくに祀られている庚申塔② 2020年に訪れたときは、山王宮の境内には雑草が繁茂していました。2023年11月24日に再訪した際には、草はきれいに刈り取られ歩きやすくなっていました。 そして、境内にまつられていた庚申塔群は、そのままのかたちで残っていました。 場所:大分県豊後高田市上香々地 座標値:33.631639,131.537200 小林幸弘氏の運営されているホームページによると、石垣のように並べられたこれらの石塔は、ひとつひとつが庚申塔のようです。 参照:国東半島の庚申塔,13057 URL:http://5884koshinto.my.coocan.jp/13kakaji/13057.html 不思議な
場所:大分県国東市国見町小熊毛 座標値:33.651192,131.634523 大分県の国東半島(くにさきはんとう)。小熊毛(こくまげ)という名前の地区。 小熊毛川の水を貯めたダム。 ダムの下流側に鎮座する山神社。イチョウの樹が、良い色に色づいています。 鳥居のそばに咲いているサザンカ。 寒い日でしたが一匹のスズメバチが、元気なく花の周りを飛んでいました。 落葉の積もる拝殿。 古い石灯籠。 本殿のわきに祀られる大杦(おおすぎ)大神。 稲敷市阿波の大杉神社は、全国に670社ほどある大杉神社の総本宮です。 菟上之国(うなかみのくに)は広大な常総内海を支配域としておりました。その内海の航路標識の役割をはたしたのが、大杉神社の巨大な杉です。この地が「あんば」と呼ばれていたことから、巨杉に鎮座する神様は「あんばさま」と呼ばれました。この巨杉は常総内海の人々の信仰の対象として、また海で生活する人々の
国東半島、国見町の岐部(きべ)という地区に松林寺(しょうりんじ)というお寺があります。この境内に庚申塔が二基まつられていました。もう一基、庚申塔らしき石塔もありますが、庚申塔という確証がもてません。その石塔もあわせて三基ご紹介します。 今回の記事では、三基目、さいごの庚申塔をご紹介します。しかし今回の石塔は庚申塔らしきものです。庚申塔として通常の形態をもっていないためです。 場所:大分県国東市国見町岐部 座標値:33.645942,131.625384 大きな自然石に四角の枠が彫られ、そのなかに三体の僧侶らしき像だけが刻まれています。各人物は結跏趺坐(けっかふざ)をして、両手を胸の前で合わせているように見えます。はじめ見たとき、わたしは、お地蔵様が刻まれている塔だと感じ、庚申塔ではないと考えていました。 小林幸宏氏の著した『国東半島の庚申塔総覧』P.296に、こちらの石塔も紹介されています
国東半島、国見町の岐部(きべ)という地区に松林寺(しょうりんじ)というお寺があります。この境内に庚申塔が二基まつられていました。もう一基、庚申塔らしき石塔もありますが、庚申塔という確証がもてません。その石塔もあわせて三基ご紹介します。 今回の記事では、二基目の庚申塔をご紹介します。二基目の庚申塔は、車道の脇にまつられていました。庚申塔のうしろにみえる建物が松林寺の建物です。 場所:大分県国東市国見町岐部 座標値:33.645864,131.625288 青面金剛の主尊。青面金剛は一面六臂(さんめんろっぴ)に見えます。青面金剛の両脇にかすかに二童子が残っています。 青面金剛の足元を確認してみましたが、なにかが刻まれているような痕跡はみつかりませんでした。 庚申塔の裏側を確認しても、建立年などの文字はみつかりませんでした。 小林幸弘氏が著した書籍『国東半島の庚申塔総覧』P.26に、今回の庚申塔
国東半島、国見町の岐部(きべ)という地区に松林寺(しょうりんじ)というお寺があります。この境内に庚申塔が二基まつられていました。もう一基、庚申塔らしき石塔もありますが、庚申塔という確証がもてません。その石塔もあわせて三基ご紹介します。 まず一基目は、松林寺のお堂にむかって右側にまつられています。 場所:大分県国東市国見町岐部 座標値:33.6460667,131.6254495 一面四臂(いちめんよんぴ)の青面金剛が主尊です。青面金剛の両脇に二童子がひかえます。また形がはっきりとしませんが、青面金剛は邪鬼をふみつけているようにもみえます。 さらにその下には見ざる言わざる聞かざるの三猿。そしてその下には二鶏(にとり)が重なるようにして刻まれています。二鳥の左隣りには鬼の顔が刻まれています。 背面や側面には建立年などの文字はきざまれていませんでした。
大分県 国東市(くにさきし) 国見町(くにみまち) 櫛来(くしく) という地区に城山神社が鎮座します。この神社の境内に一基の庚申塔がまつられていました。 拝殿にむかって左側へ行きます。 本殿にむかって左手前側に、庚申塔と三基の石祠がまつられています。 場所:大分県国東市国見町櫛来 座標値:33.661759,131.606012 シンプルに「庚申塔」とだけ刻まれており、建立年など他の文字は確認できませんでした。 小林幸弘氏の運営されているホームページ『国東半島の庚申塔』にも紹介されています。「25045 城山神社 文字庚申塔」。 城山神社の境内に鎮座する石祠と並んで、「庚申塔」とだけ刻まれた無銘の文字庚申塔が安置されている。 小林幸弘氏が訪問した当時の写真を拝見すると、周囲には雑草が繁茂しているように見えます。2023年11月24日に訪問した際は、雑草は生えてはいるものの、落ち葉などが集め
大分県、国東半島(くにさきはんとう)に金毘羅鼻(こんぴらはな)と名付けられた場所があります。半島の北北東にあり、周防灘(すおうなだ)に面しています。海につきでた岩肌に金毘羅社がまつられており、この景色がとても印象深い場所です。 場所:大分県国東市国見町大熊毛 座標値:33.670173,131.661195 金比羅社のすぐ北側には姫島がうかんでいるのがみえます。 地形図でみると、位置関係がよくわかります。 お宮は岸壁を掘ってつくられているようです。岸壁にはたくさんの礫(れき)がうまっています。風雨にさらされて、ボロボロと岩がおちてきそうです。 礫(れき)が埋まっている土の箇所は灰色で火山灰のようにみえます。火山灰のなかに溶岩でできた岩がゴロゴロと埋まっているという感じです。国東半島をまわっていると、岩肌が露出している場所では、よくこのような景色をみることができます。このような岩は「凝灰角礫
場所:福岡県北九州市八幡西区下上津役元町 下上津役=しもこうじゃく 八咫烏=やたがらす。日本神話に登場するカラス(烏)であり、導きの神参照。
場所:福岡県遠賀郡遠賀町蓮角 座標値:33.837429,130.663466 蓮角は「れんがく」と読みます。 「城の越貝塚」の案内板には以下のように記されています。 この遺跡は弥生時代の貝塚を中心とする。遺物の分布葉には低い丘の裾に約400mにわたってひろがり、丘の上には集落の存在も推定される。 遺物は、数層にわたってヤマトシジミを中心にして、多量の海水産貝類、動物骨が出土する。また多量の土器、石鏃(せきぞく:石のやじり)、石斧、石剣、石包丁が出土した。 最下層の土器は弥生時代前期末に位置づけられ、これに接する弥生中期初頭の土器群は、「城の越式土器」と命名され、九州北部の土器編年上、重要な標識となっている。
北九州市八幡西区、町上津役(まちこうじゃく)西に鎮座する蛭子神社の境内に庚申塔が一基まつられていました。 場所:福岡県北九州市八幡西区町上津役西 座標値:33.823704,130.751575 「幸神尊天」と刻まれています。庚申塔にむかって右側面には「享保九年」が確認できますが、左側面の文字は判読できませんでした。 享保九年は西暦1724年、干支は甲辰(きのえたつ)です。 蛭子神社 蛭子神社の始原は、御牧郡上上津役村・町上津役誕生のおり、村落共同の産土神を往還沿いの古野の一角に創建したことによると思われる。以来、里人の崇敬あつく、こんにちに至っている。祭神は事代主命である。明治期ここ早田に遷座された。(境内の案内板)
場所:福岡県北九州市八幡西区畑 座標値:33.804746,130.769969 畑貯水池をぐるりとまわる道路をはしっていると、脇に庚申塔がまつられていました。 石祠とともに、縦長の自然石の庚申塔はまつられています。 庚申塔正面には「庚申□堂」と刻まれています。「□」の箇所は読みにくく、何と刻まれているのかわかりません。おそらく「祭」と刻まれているように思えます。もしそうだとすると「庚申祭堂」と刻まれていることになります。 庚申塔にむかって右側面には、「寶永戊子」という文字が確認できます。宝永年間で、干支が戊子(つちのえね)の年は宝永五年で、西暦では1708年です。 庚申塔にむかって左側面にも建立月がきざまれているようですが、読み取ることができません。かろうじて「月」だけが読めます。
場所:山口県山口市木町 座標値:34.190161,131.472919
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く