場所:大分県豊後高田市長岩屋 座標値:33.578665,131.545235
![県道548号線沿いの石仏 大分県豊後高田市長岩屋 - 日々の”楽しい”をみつけるブログ](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/955265a93bcaf3575c81f6e59c4ef9e04873bd91/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fcdn-ak.f.st-hatena.com%2Fimages%2Ffotolife%2Fr%2Fregenerationderhydra%2F20240721%2F20240721210339.jpg)
福岡県飯塚市の”イオン穂波”のすぐそばに、炭鉱跡があります。「日鉄鉱業 二瀬鉱」の跡です。1899年(明治32年)に、官営八幡製鉄所の二瀬出張所として開かれました。当時、製鉄所でのエネルギー源である石炭が必要とされ、おそらく、この場所で石炭が採れたため出張所が開かれたと考えられます。 参照:沿革 | 日鉄鉱業株式会社 下の写真は、石炭を産出した炭鉱である二瀬鉱の正門です。二瀬鉱についての遺構はこれだけなのだそうです。 参照:新編 九州の戦争遺跡P.52 場所:福岡県飯塚市桂川町枝国 座標値:33.636529,130.674938 このレンガ造りの正門跡は、桜ヶ丘遊園の南西部の、公園下側に保存されています。下の略図に場所を示しています。 ふたつの正門の間にある石碑には、二瀬鉱業所本部・中央坑施設の写真が印刷されています。この写真の施設のまわりには柵がもうけられ、まんなかに正門がもうけられて
場所:福岡県遠賀郡遠賀町島津 座標値:33.874767,130.672000 蓮は、明け方の時間帯に開く花が多いそうです。 8〜9時頃の間に満開を迎え、またゆっくりと時間をかけてしぼんでいき、蕾へと戻ります。これを3、4日繰り返しそのまま力尽き、翌日散ってしまうのです。お越しいただくお客様の中には、見頃の時間帯(7〜10時頃)をご存じない方も非常に多く、お昼頃や夕方もたくさんの方が蓮畑を訪れています。参照:国宝臼杵石仏,蓮の咲き方、午前と午後の違い 訪れた時間帯は、午前11時頃で、ほとんどの花はつぼみになっていました。この場所は、多くのひとに知られているようで、蓮の時期、早朝になると多くのひとがこられています。私は、人の多い場所があまりすきではないので、早朝を避けての訪問です。
「長崎西組」と刻まれた石塔が、堀川のほとりに残っています。また、この石塔の南南東側約120mの地点に、おそらく「長崎東組」と刻まれた石塔があります。”おそらく”としたのは、石塔の下部分が地面にうまっており、たぶん「東」と刻まれた文字が半分みえなくなっているためです▼ 場所:福岡県北九州市八幡西区中須 座標値:33.864424,130.720638 場所:福岡県北九州市八幡西区長崎町 座標値:33.863412,130.721320 「長崎」という地名の場所が、すくなくとも、明治三十九年(西暦1906年)頃は東と西に分けられていたのかもしれません。 1906年当時よりも時代は後となりますが、大正11年(西暦1922年)の地図が、今昔マップで参照することができます▼ 1922年当時の地図を参照すると、東組の石塔がある場所の東側に住宅地がひろがっているようにみえます。いっぽうで、堀川に架かる橋
場所:福岡県北九州市八幡西区則松 座標値:33.862159,130.722139 則松(のりまつ)という場所に「長崎街道」と刻まれた石碑がたっています。この「長崎街道」というのは、江戸時代に整備された、北九州市の小倉(北九州市小倉北区)の常盤橋(ときわばし)から、肥前国長崎(長崎県長崎市)へとのびる街道のことを指しているのではないようです。 写真右側の高台に石碑がたてられている 「長崎(町)」という地名の場所に、むかしからある生活道があったので「長崎街道」と名付けられたと考えられます。 どうしてこの場所が「長崎」なのでしょうか?地形図で、この場所の高低差を色をつけて確認してみます。▼水色で示した場所が約20m以上の場所、濃い青色で示した場所が約10m以下の場所です。すると南西から北東にかけて、「長崎町」と示された場所まで、”崎(山がつきでた端)”ができていることがわかります。 もしかした
2024年6月28日(金)。西日本は大雨でしたが、山口県美祢市にある景清洞(かげきよどう)を訪れました。 場所:山口県美祢市美東町赤 駐車場のGoogle map 洞窟入口のGoogle map 壇ノ浦の戦いに敗れた平家の武将・大庭景清が潜んでいたと伝えられる洞窟。洞内には景清にちなんだものがたくさんあります。天井や壁は芸術品のようにすばらしく、フズリナ、サンゴ、海藻などの化石を見ることができます。 参照:山口県美祢市 秋吉台国定公園観光情報.天然記念物 景清洞 景清洞は、すぐちかくにある大正洞と比べて、天井からしたたり落ちる地下水があまりなく、比較的快適に洞内をあるくことができました。 入口の鉄格子▼ 梅雨時の蒸し暑い外気と比較して、洞内はひんやりとして半袖だと肌寒いくらいです。 観光コースとは別に闇の生物、化石を探す探検コース(所要時間:約1時間)もあります。また、近くには 景清洞トロ
2024年6月28日(金)に、山口県の美祢市(みねし)にある大正洞(たいしょうどう)と景清洞(かげきよどう)に行ってきました。天然記念物に指定されている鐘乳洞です。今回の記事では、大正洞についてご紹介します。 場所:山口県美祢市美東町赤 駐車場のGoogle map 大正洞入口のGoogle map 大正洞は、1921年(大正10年)1月に、大島金蔵と大島政一(おおしままさいち)氏親子により発見された洞窟です。竪穴(たてあな)で連絡していて、「牛隠し」・「極楽」・「高天原(2段)」・「地獄」の、合計5段からなっています。 本洞は秋吉台の東北端に近い真名ヶ岳の北麓に開口しており、竪穴で連絡して数層からなっている立体的な石灰洞である。参照:美祢市ホームページ.大正洞 洞内はたくさんの階段があります。たしかに竪穴型の洞窟であることが実感できます。実際に、歩いてみると、外で雨がふっていたこともあり
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