(旧本館掲載:2007年3月1日) 札幌や北海道がおかしくなってきたのは、偏に旧社会党議員横路孝弘氏の働きをおいて他にない。今でこそ民主党所属と道民を謀っているが、元々『社会党のプリンス』と呼ばれ、弁護士時代には、悪名高き全道労協〔現在は解散〕の顧問弁護士を務めたことがある。またMPD・平和と民主運動の呼びかけ人をしていたこともある(余談であるが、千葉県の知事堂本暁子の最大の支援団体がMPD・「市民の党」{MPD・平和と民主運動から改名})。 一応、このMPD・平和と民主運動の流れを簡単に説明すると、元は共産同(共産主義者同盟)のマイナーな分派である日本学生戦線(日学戦)が源流であり、以下の年表のような変遷を歩む。 1974年 法政、上智、京都、同志社大などのノンセクト過激派グループが日本学生戦線結成。 1979年 日学線及びOB組織、「三里塚を支援する労働者の会」を母体に「マルクス-レー