この原稿の直接のきっかけそのものは旧聞に属する話題だが、同様の議論は繰り返されている。引き続き問題提起していきたい。 「表現の自由」? 先日、あるバラエティー番組が、誰が見ても同性愛者を嘲笑するようなキャラクターを数十年ぶりに復活させ、登場させたことが大きな批判を浴びた。一方で、「昔はよかった」「最近は窮屈」「表現の幅が狭まる」などといった声もあがった。 近年、社会的マイノリティへの差別や偏見を助長するような表現が批判され、問題になるたびに同じようなことが起きる。先のような言葉でなぜかすぐに「表現の自由」と「表現の制約」という二項対立にしてしまう人たちがいる。それは問題を、「表現する側」からしか見ていないからだ。 だがこれは、「表現される側」の問題だ。 「表現される不自由」 こうした場合の対象になるのは、その社会で「普通とはちょっと違うとされている存在」であることが多い。またほとんどの場合