こな蜜柑ちゃんpot @reirei_pot 「オタクとオウムの親和性」 「今オウムの様な物があったとして、惹き付けられるのはネトウヨ層」 オウムさえオタク非難とネトウヨ非難の出汁に出来てはじめてリベラルとして一人前と言えるんですよ(こなみかん) pic.twitter.com/TinpJ1l5Nc 2018-07-08 19:41:44
特攻隊とか学徒動員とかの番組観ると涙しながらも、なんでこんな事に命捧げちゃったんだろうなっていうのはちょっと考える。 我が家は召集令状2通きたけど無視、特高に呼び出し食らったけど無視、疎開と言う名の一家蒸発、学徒動員も無参加という非国民一家だったのでおかげで誰も死んでません。
印度洋一郎 Yoichiro Indo @ven12665 今日の朝日のオピニオン面で、「右傾化」を考えるというテーマで何人かの識者が語っている。中の一人、物語評論家のさやわか氏が「艦これ」について、「右傾化ではないが、イデオロギーが抜け落ちているところが不気味。ファンは『歴史の真実を描いているわけではない』と開き直るべきではない」と。 印度洋一郎 Yoichiro Indo @ven12665 そして、「(艦これやガルパンの)ファンは、自分達の好きな作品が戦争賛美に受け取られかねないという事を理解し、自分達はネトウヨではないとはっきり言えなくては」 ・・・う~む・・・ 印度洋一郎 Yoichiro Indo @ven12665 この手の意見は、色んな形で子供の頃から散々言われていて、この先も永久に言われ続けるものだと覚悟しているが、素朴な疑問として、「何でそこまで言われないといけないの?
1981年に大阪で開催された第20回日本SF大会「DAICON3」の思い出を、実行委員長だった武田康廣が語ります。 What’s New 第8回「オープニングアニメ(後編)」「ダイコン3」「祭のあと」掲載(2014年9月30日)。最終回です! 第7回「オープニングアニメ」掲載!(2014年9月23日) 1981年の日本SF大会通称「DAICON3」。その大会ではオープニングで上映された「DAICON3 OPENING ANIMATION」が話題になりました。当時アマチュアだったそのアニメーション制作の中心スタッフが、現在のガイナックスの基盤を作ることになります。 こちらのコーナーでは、ガイナックス取締役武田康廣の視点で大会までの様々な出来事、そしてDAICON3の思い出を綴ります。 80年代、日本のSFムーブメントの世界にしばしお付き合いください。 「快傑のーてんき」そして「ダイコンフィル
※本記事はアフィリエイトプログラムによる収益を得ています 「我が家の2階から歴史的に極めて貴重な文書が発見された」――Twitterユーザー(@Ayukawa_Reijiさん)が投稿したコミックマーケット13の「カタログ」が話題になっていました。コミケ13が開催されたのは1979年12月。今から30年以上前のことです。 提供:@Ayukawa_Reijiさん コミケカタログといえば、近年は「鈍器」と呼ばれるほど分厚くなっている上、今年はWeb版も正式にリリースされましたが、コミケ13のものは、たった1枚の紙。そこに“手書き”で「明大SF研」「慶應義塾高校漫画研究会」「萩尾望都FCプランタン」「パロディにもっと光を与える会」「フッつかれたぜ」など、268個のサークルが記されています。開催場所も大田区産業会館で、現在の3万5000サークルが参加する東京ビッグサイトのイベントとは規模が違います。
【同人バブル時代】 1980年代中頃(キャプテン翼)から1990年代初頭(幽遊白書・スラムダンク)にかけて、女性向同人界はいわゆる同人バブル時代の最中にありました。 現在の同人界ほどジャンルの細分化もなく、商業ボーイズラブ作品もなく、インターネットもない時代。乙女たちの夢と妄想を先頭立って引き受けたのは、極限られた一部の大手サークルさんたちでした。 同人バブル時代の大手サークルさんには、現在では考えられないバブリーな逸話の数々が伝説として残されています。ちょっと長いですが、当時の雰囲気をお楽しみ下さい。49 名前: 名無しさん@どーでもいいことだが。 当時、大手で売り子をしていた身としては懐かしい思いでです、同人バブル…。本の装丁はハードカバー、本文は上質紙110kgに色替え紙替えフルカラー口絵は当たり前。 (会計してる時あまりの重さに手が腱鞘炎になりそうだった) 差し入れはブランド物の小
俺は松谷さんのような第二世代の論客が台頭してきて、社会学的なアプローチからオタク問題について書き始めるのを待っていました。先にも言ったように第一世代は当事者性が強く、それがゆえのメリット・デメリットが諸刃の剣になってしまうところがあります。つまり自分の体験を特権化するあまり、客観性が保ちにくいということですね。 第二世代から見た「オタク問題史」: たけくまメモ オタク第1世代である竹熊健太郎による言葉。 これまでオタク論と言えば、竹熊や大塚英志、岡田斗司夫、宮台真司などオタク第1世代(1960年前後生まれ)によって紡がれることが多かった。ただ、彼らは70年代後半、"オタク状況"が成立した現場に立ち会ってきたこともあって、それゆえに発言の中に好むと好まざると自分の見てきた視点からのバイアスがかかってしまう。で、その下の世代によって歴史をまとめていくことが大事なんだ、という文章だと理解した。
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く