ブックマーク / note.com/ryuichiroise (1)

  • それでも、生きていくために|伊勢隆一郎

    その人は、傷ついていた。 あるいは、傷ついた心が悲鳴を上げ その辛さが、怒りに変わっていたのかもしれない。 私たちは、ときとして、どうしようもなく 理不尽な仕打ちを受けることがある。 その理不尽さは、他人からの仕打ちであったり あるいは、不運としか言えない 病気や、事故、天災であったりする。 そんな思いもよらない仕打ちに 私たちは傷つき、悲しみ、やり場のない 思いにさいなまれる。 手から滑り落ちたグラスが、床に向かって 落下していくのを目の当たりにしたとき 私たちは、その刹那、グラスが無事であることを 願う。 でも、無事であることをどれだけ 願ったとしても、 もし、運悪く粉々に砕け砕け散ってしまったとしたら、、。 一度砕け散ったグラスは もう、修復することはできない。 そう、二度と修復することはできないのだ。 その破片は、わずか数秒前まで完璧なグラスを 形作っていて、どれだけその鮮明な記憶

    それでも、生きていくために|伊勢隆一郎
    bijinkamo
    bijinkamo 2017/03/24
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