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表現に関するbilliejoeのブックマーク (4)

  • D Think Lab - activities - 修士論文中間発表

    10月24日 KMD初めての修士論文中間発表である。 3つの教室に分かれておこなった。出来るだけ主査でない教員がコメントするようにわけた。 僕は中村伊知哉さん、大川さん、杉浦さんと同じ部屋で。 KMDは修士論文としてアカデミックな文章作法を要求することに加えて、分析ではなくてなにか創造的なアウトプットを作ることも要求している。このあたりを巡って、発表において気がついたことを今後の参考のためにまとめておきたい。大体コメントした順番に書いてある。 1)オリジナリティ これは非常に難しい問題だが、剽窃(plagiarism)とも深く関わっている。自分が表現したものがまったくのオリジナルである必要はもちろん無い。アカデミズムにおいては他の人の作品や表現を使ってもいい。だが、それはどこからその表現を引用してきたかを明示するという条件においてである。それを怠ると剽窃である。先行研究を言及すれば立派な調

  • 知性が失われて初めて言語が「亡びる」

    論文が読みやすいとしたら、それは良く練られているからだ。そもそも、わかりやすい表現が良いというのは、日語、英語の区別がない。文章を吟味することから「逃げ」て済むなら良いが、それでは投稿してもろくに読まれないから身を滅ぼす。安易にこのような考えに同調する人がいるのがとても心配だ。 日人が書いた日語論文であっても読みにくい例の枚挙には暇がない。口語の方がわかりやすい?口語中心のブログでも読みにくい文章はうんざりするほどある。(例えば、「日語が亡びるとき」の書評を批難したり、あるいは水村美苗人を攻撃するときに、読みやすく、かつ、知性をうかがわせる文章で応えた人はほとんど見受けられない) もし世界の標準が「日語」で、皆が日語で論文を書くようになったとしたらどうだろう。段落ごとに「てにをは」や「漢字」の間違いが出てくるような論文は、すぐに読む気がなくなってしまうのではないだろうか。 崩

  • 書きたいように書けない人は、読む事から始めればいい:ekken

    ここらへん読んで考えた事 ブログ文章術 米光一成 : ブログの自由と、われわれの不自由 ブログ文章術 米光一成 : 書きたいように書けない人の叫び Happy Days # 「ブログ文章術」に思うこと 伝えたい事がなければ、無理して書かなくても良いと思うけど、「書きたいように書けない」人は、自分の文章に対する理想が高すぎるのではないですかね? 自分が面白いと思うブログって、必ずしも名文とは限らないと思います。 もちろん、良い文章である事に越した事はないですが、あまり上手な文章とは言えないような物でも、伝えたい事がハッキリしている文章は面白いものです。 面白い一発ギャグを思いついた、それをみんなに伝えたい、と思ったら、余計な前フリなんかせずに、その「面白い一発ギャグ」を書いたら良い。 下手に長々とした、分かりにくい説明なんかしたら、そのギャグの面白さが半減します。 この場合、伝えたい事は「一

  • ほぼ日刊イトイ新聞 - おとなの小論文教室。

    Lesson329 エントリーシートが書けない メールでも、レポートでも、企画書でも、 「文章が書けない」ってどういうことなんだろう? たとえばこの時期、 エントリーシートが 書ける人と書けない人の差は歴然としている。 会社からエントリーシートを渡され、 「10日後にこれを書いて提出してください」 と言われたら、 書けない人は9日間なにもしない。 そして9日目の夜になって焦る。 「きょうは徹夜だ」と覚悟する人も出る。 例えばシートに、 「当社に入って何をやりたいか」という質問があるとして、 この問いにはまり込んで悩む。 まるで無から有を生み出すように、 白い紙にむかい、 答えをウンウンひねり出そうとする。 いざ書きはじめると、今度は語尾や言い回しなど こまかいところに気をとられる。 書いては消し、書いては消し、と「表現を練る」。 思うようにはかどらず、時間切れになり、 エイヤーで埋め、イチ

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