更新日:2008年2月1日 「竹の秋」という言葉がある。春ともなれば、木という木、草という草が若葉を出すのに、竹は古い葉が黄ばみ始める。「竹の秋」は、だから春の季語である。 昭和の初めころまで、目黒には竹林があちこちにあった。わざわざ京都へ足を運ばなくても、居ながらにして竹林を渡る風の音を楽しめたわけである。もっとも、目黒の竹林は風流のために植えられたわけではない。農家にとって竹林は、タケノコを栽培するためのものであった。タケノコは重要な農産物だったのである。 筍と竹林 目黒のタケノコ栽培の最盛期は大正時代。「太く、柔らかく、おいしい」と三拍子そろった「目黒のタケノコ」は、目黒式といわれる独特の栽培法によるものであった。目黒式は、地下茎を掘り起こして、深く掘った溝に埋め直し肥料を施す方法で、目黒の土質に合っていた。 タケノコの出盛りは4月下旬から5月上旬。このころになると、タ