谷川俊太郎さんがMac使いのガジェット好きだったのはびっくりした。 びっくりついでに、詩集『空に小鳥がいなくなった日』(1990)に載っている、谷川さんのコンピューターの詩がしみじみいいので紹介しておいてもいいかしら。うっかり取材記事に入れ忘れたわけじゃないのよ。ぜひ声に出して読んで、どうぞ。 我が友コンピューターに 僕はきみを見たことがある きみは大きな箱のように単純な姿をしていた 僕はきみに触れたことがある きみにはかすかだが体温があった 僕はきみを愛してはいないが怖れてもいない きみはますます巨きくなるだろう きみはますます利口になるだろう でも僕は僕のままだろう しゃくにさわるとか虫が好かぬとか 相変わらずそんな小さな業すら捨てきれずに だが二進法について何ひとつ知ってなくても 僕もきみのプログラマーだ 僕はきみに入力する 途方もない理想を 情報の奔流がすべての秘密を洗い流し 人間
すみません。今日はちょっと長いです。 ミズタマのチチさんから、ゲームバトンがやってきました。 お答えするのですが……その前に、僕のゲームのバックグラウンドを、簡単に説明しておきます。 僕のゲーム経験は、他の人とはだいぶ異なっています。つまり…… 僕は小中学生の頃にゲームを集中的にやっていて……それ以来ほとんどやってなくて…… で、持っていたゲーム機が……ファミコンとかじゃなくて…… PC8801mkII SR だったんです。 知ってますかPC8801mkII SR? ゲーム機じゃなくてパソコンですよ。こんな感じ↓ 知ってますか? この時代のパソコンは、ハードディスクがないんですよ。全部フロッピー。 知ってますか? ここらでガッツリ言わせていただきますが、今の日本の、オリジナルなゲームカルチャーは、全てこの時代のパソコンのゲームからはじまったんですよ! それがファミコンに飛び火し、プレステに
クリエイティブビジネス論〜焼け跡に光を灯そう〜 コピーライター・境 治が、焼け跡になりつつあるこの国のクリエイティブ業界で、新たな理念を模索するブログなのだ! 昨日のこのブログで、今年は“節目の年“になるようだと書いた。今日はその続きを書こう。 朝日新聞の社長が驚くほどちゃんとメディアの将来を見据えたことを言った。紙の媒体で書くことにこだわっていてはいけない、と。もはや、新聞記事とは紙でもデジタルデバイスでも読めるものだし、それは加速する。いまの若い世代が年齢を経ても紙の新聞を読むようにはならないだろう。 この考え方を図にすると、こんなことだろう。 左側が、これまでのメディアとコンテンツの関係。新聞で言えば、メディア=紙の新聞。コンテンツが記事。記事は必ず紙の新聞とセットであり一体化している。コンテンツは紙の新聞に掲載される前提で生み出される。そこに何の疑問もない。 ところが右側では状況が
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