近代国家における「国民」の創出に寄与する装置といえば学校と軍隊であるというのは今さら言うまでもないが,その事情は「いくつものアイルランドをひとまとめにしたような」*1ハプスブルク帝国においても変わることはなかった。 アウスグライヒ(Ausgleich)後のハプスブルク帝国,すなわちオーストリア=ハンガリー帝国の共通軍は,諸民族に最低限のドイツ語能力だけを要求し基本的には民族語で兵営における生活を営むことができる場であった。それは立派に国民統合機能を担っていたと言っていいだろう*2。 しかしながらそれは諸民族の配属などの絶妙なバランスの上に成り立ったもので,根本的に非常時の制度では有り得なかった。大津留厚の表現を借りれば,「ハプスブルク軍は戦争をしてはならない軍隊だった」*3。総力戦という新しい戦争のかたちはそのような統合を容赦なく突き崩した。弱体のハプスブルク軍が,中欧の同盟国ドイツに