砲弾からたちまち包丁が 包丁の刀身とするため、砲弾を焼き切る呉さん 「これはみんな、毛主席からの贈り物です」 開口一番、包丁づくりのベテラン職人、呉増棟さん(54)が仕事場に山と積まれた砲弾を指して言った。 ここは台湾支配地域で中国に最も近い金門島。どうも見学客が訪れるたび、同じ言葉で笑いをとっている疑いがあるが、たしかにウイットの利いた言い回しだ。ただし、そのウイットを理解するには、ある程度の予備知識がいる。 1958年、毛沢東の中国は金門島に集中的な砲撃を浴びせ、奪取を図った。着弾した砲弾は、44日間で実に47万9554発。当時子どもだった住民は「雨のように降り注いだ。サイレンが鳴るたびに防空壕に駆け込んだ」と振り返る。多数の死傷者を出しつつ、台湾側が金門を死守したが、砲撃合戦はその後ルーティンワークのようになり、70年代末まで続いた。 呉さんは島に無数に残る砲弾から、包丁をつくる。包
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