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2011年11月29日のブックマーク (4件)

  • 顧千里の生き方

    最近、なぜか顧千里(1766-1835)のことが妙に気にかかり、台湾出張の間も顧千里の年譜一冊を読みながら過ごしていました。李慶氏『顧千里研究』(上海古籍出版社、1989年)を久しぶりに取り出して読んだのです。 顧千里の事跡が綿密に調べ上げられており、完成度の高い年譜であり、そればかりでなく、この書物を読むことで顧氏の学問と人生が浮かび上がるように書かれています。初めて読んだ時の感動が今回もよみがえりました。 その中でも、最も心にのこったのは、嘉慶5年(1800)の年末、35歳の顧氏が地元の蘇州を離れて杭州へと旅立つに際して、古くからの親友である戈襄が彼に贈った文章です。阮元(1764-1849)が十三経注疏の校勘を行うための一員として、顧千里を杭州に招いたのです。誇り高い仕事ではありますが、とかく純粋にすぎて人と合わない顧氏の性格を、戈襄は深く憂慮しました。 顧子行端潔、性剛果、故出語恒

    顧千里の生き方
    bitheiboo
    bitheiboo 2011/11/29
    自分も人付き合いが苦手な方なので身につまされますね。せめて顧千里の百分の一、千分の一ほどの学識があればいいのですが。
  • 资讯_凤凰网

    bitheiboo
    bitheiboo 2011/11/29
    チャーハンではなくリンゴということか。まあどちらにしろ死んでしまったわけだけど。
  • 砲撃の島をゆく―台湾・金門ルポ:時事ドットコム

    砲弾からたちまち包丁が 包丁の刀身とするため、砲弾を焼き切る呉さん 「これはみんな、毛主席からの贈り物です」 開口一番、包丁づくりのベテラン職人、呉増棟さん(54)が仕事場に山と積まれた砲弾を指して言った。 ここは台湾支配地域で中国に最も近い金門島。どうも見学客が訪れるたび、同じ言葉で笑いをとっている疑いがあるが、たしかにウイットの利いた言い回しだ。ただし、そのウイットを理解するには、ある程度の予備知識がいる。 1958年、毛沢東の中国は金門島に集中的な砲撃を浴びせ、奪取を図った。着弾した砲弾は、44日間で実に47万9554発。当時子どもだった住民は「雨のように降り注いだ。サイレンが鳴るたびに防空壕に駆け込んだ」と振り返る。多数の死傷者を出しつつ、台湾側が金門を死守したが、砲撃合戦はその後ルーティンワークのようになり、70年代末まで続いた。 呉さんは島に無数に残る砲弾から、包丁をつくる。包

    砲撃の島をゆく―台湾・金門ルポ:時事ドットコム
  • 西洋軍歌蒐集館

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