最後のホストの一人は、48歳銀行員 「いま私以外のアクセスはまったくないので0です。私の独り言の場です。最盛期は日に10人くらいアクセスしてくれていたと思いますが……」 そう吐露してくれたのは、老舗のパソコン通信「西和ネット(旧:MYSTIQUE)」(http://jp3tlc.dip.jp/com/index.shtml#LINKS)のSYSOP(システムオペレーターの略で、パソコン通信の管理者)である山田和弘さん。48歳の銀行員だ。 「パソ通全盛のときは学生で、なかなか長時間回線をつなげませんでした。お金を節約するため、電話回線では無く、アマチュア無線で無料でつないでいたこともあります。そのため、ホストには憧れていて」 郷愁を呼び起こすメインメニュー ようやくパソ通ホストになれたのが93~94年ごろ。すでにブームは終わりかけの時期だった。 「クラシックカーに憧れるようなもので、いまとな
![(2ページ目)パソコン通信“最後のホスト”「死ぬまで続ける」と語る理由 | 文春オンライン](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/0a9b19ab19a42fa574297a81df5dbf5e1bd780e0/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fbunshun.jp%2Fmwimgs%2F0%2F3%2F1200wm%2Fimg_03ca40815746b40c979d7230c85d2e02105899.jpg)