もうつくづくなんというかアナーキストでノーフューチャーな気分だ。安全ピンをシャツや耳にいっぱい刺して、発煙筒をもくもくと焚きながら街を練り歩きたい。アンチクライスト。ロンドンコーリング。女王陛下。 朝青龍の引退に続き、スノボ選手の服装問題(べつに問題でもなんでもないことを、さも問題であるかのように扱う世の中がすくいがたい病気だと思う)などを見ると、怒る前におそろしくなってくる。 この恐怖感はべつに今に始まったことじゃなく、成人式に参加した数万人のうちに含まれるごくごくわずかなお調子者のために社会面を数段ぶち抜きで報じた新聞(私の故郷の地元紙は社会面の3分の2ぐらい使って、酔っぱらってガラスを割ったバカに筆誅をくわえていた。社説もばっちり説教モード。新成人を祝福するどころか、みんな憎悪しているのがよくわかった)や、豊田商事会長刺殺事件やロス疑惑や松本サリン事件を経てもまるで変わることのないメ
バンクーバーの空港に降り立った国母和宏(21歳、東海大)選手の服装は、あれはたしかに問題だった。 いや、問題だったのは「服装」ではない。「着こなし」だ。 服装自体について言うなら、彼はJOC支給のスーツを着ていた。その意味では、規則違反を犯していたわけではない。 が、結果は単純な規則違反よりもシリアスなものになった。マズかったのは、そのJOC謹製の背広上下を、「裾出し」、「ゆるネクタイ」、「腰パン」のカタチで着崩していたことだ。 「服装」よりも、「着こなし」が逸脱していたということは、「ファッション感覚」よりも「スタイル」が道を外れていたということで、このことはすなわち「ファッション」という外見的ないしは趣味的な要素よりも、より深く人格の根本に直結する「生き方のスタイル」が、規則破りであったことを意味している。 と、これは、由々しき事態になる。 公式スーツが象徴する「スタイル」をコケにした
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