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ブックマーク / neuler666.hatenablog.com (2)

  • 俺たちに翼はない 実験性と娯楽性とメッセージ性の話 - WebLab.ota

    最終話も最高に盛り上がった(俺が個人的に盛り上がった)「俺たちに翼はない」について書く. ネタバレするんでよろしく. 多義的な世界,主観的な世界 この「俺たちに翼はない」って作品は,こんな(下図)感じの主人公が出てきて, 実は同一人物ですって話.つまり主人公は多重人格である. なんだけど,この時点でルールをいろいろ無視している. 普通の多重人格キャラってのは,こんな感じで,頑張ってカツラを被って髪の毛を変えるキャラはいるかも知れないけど,そーゆー努力無しで髪の色,骨格までナチュラルに変えるキャラはあんまりいない. まぁ,綿の国星(大島弓子)や田辺のつる(高野文子)の世界では,やおばあちゃんが,そーゆー努力なしで少女の姿になっていたり 空中ブランコやH2Oでも,そーゆー努力なしで,若返ってたり,目が見えるようになっていたりするけど これらにも一応,「人がそう思い込んで」いて,視聴者・読者

    俺たちに翼はない 実験性と娯楽性とメッセージ性の話 - WebLab.ota
    bluesunday
    bluesunday 2011/06/26
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  • けいおん!12話のライブシーンが何故感動的なのかを解説する - WebLab.ota

    今回は,けいおん!12話の「ふでペン 〜ボールペン〜」演奏シーン(唯がギターを取りに帰って学校まで走って戻るシーン)の約2分間の演出について解説したい. このライブシーンでの演出意図は,視聴者を如何に唯に感情移入させて,次に唯が歌う「ふわふわタイム」のカタルシスを作るか?ってところにある. 近づいていくカメラ 唯がギターを取りに帰って学校まで走って戻るシーンの約2分間はざっくり説明すると 俯瞰カメラ(客観)(左上図)→ロングショット(中央上図)→ウェストショット・カメラとの間に障害物(電信柱)が横切る(右上図)→ウェストショット(左下図)→アップショット(中央下図)→主観ショット(右下図) という順番でカメラがどんどん唯に近づいていって,最終的に内面描写になっている. あの怠け者な唯が一生懸命,必死に走っていて,それを視聴者が「がんばれ!もうちょっとだぞ!」って応援する. これに応じるかの

    けいおん!12話のライブシーンが何故感動的なのかを解説する - WebLab.ota
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