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邪馬台国に関するbmidvarのブックマーク (2)

  • “卑弥呼の柱”別の宮殿にリサイクル? 奈良・纒向遺跡  - MSN産経ニュース

    奈良県桜井市の纒向(まきむく)遺跡で見つかった邪馬台国の女王、卑弥呼の宮殿ともいわれる大型建物跡(3世紀前半)は、廃絶に伴って柱だけ抜き取られていたことが11日、市教委の調査で分かった。次の女王・壱与(いよ)の時代(3世紀後半)になると、遺跡の中心は約600メートル東に移ったとされており、新しい宮殿の柱にリサイクルされた可能性もあるという。 大型建物跡では、一辺約1メートルの柱穴が十数分見つかり、いずれも柱は直径約30センチと推定されている。そのうち数カ所の柱穴では、柱を引き抜くために掘り返された痕跡が確認された。 奈良時代の都・平城京(710〜784年)でも宮殿築造の際、直前まで都だった藤原京(694〜710年)の宮殿の柱や瓦などを持ち出して使っており、「卑弥呼の宮殿」でも再利用が進められた可能性が浮かび上がった。 纒向遺跡は3世紀後半、今回の発掘現場から東側に中心が移動し、最盛期を迎

    bmidvar
    bmidvar 2009/11/11
    ここ夏休みに行ってきたところだ!!!!!
  • 「九州説は無理…」新井白石以来の邪馬台国論争ゴール近し 纒向遺跡 - MSN産経ニュース

    邪馬台国機内説の“命”である奈良県桜井市の纒向(まきむく)遺跡での大型建物跡の発見は、江戸時代中期の儒学者、新井白石が大和説を提唱して以来続く邪馬台国論争にほのかなゴールをかいま見せる成果となった。魏志倭人伝の解釈や発掘調査、科学力を駆使した研究の積み重ねによって、古代史最大の謎が解き明かされつつある。 「だんだん決着に近づいてきた」。畿内説を提唱する白石太一郎・大阪府立近つ飛鳥博物館長(考古学)は強調する。 邪馬台国論争の歴史は古く、新井白石が大和説ののちに九州説を提唱し、国学者の居宣長(もとおり・のりなが)も九州説を打ち出すなど格化。現在は、考古学的なアプローチが中心だ。 纒向遺跡ではこの20年間、桜井市教委を中心に箸墓古墳(全長280メートル)など最古級の前方後円墳の調査を精力的に進めてきた。かつては4世紀の築造といわれたが、木の年輪幅の違いを利用して伐採年代を割り出す年輪年代

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