奈良県桜井市の纒向(まきむく)遺跡で見つかった邪馬台国の女王、卑弥呼の宮殿ともいわれる大型建物跡(3世紀前半)は、廃絶に伴って柱だけ抜き取られていたことが11日、市教委の調査で分かった。次の女王・壱与(いよ)の時代(3世紀後半)になると、遺跡の中心は約600メートル東に移ったとされており、新しい宮殿の柱にリサイクルされた可能性もあるという。 大型建物跡では、一辺約1メートルの柱穴が十数本分見つかり、いずれも柱は直径約30センチと推定されている。そのうち数カ所の柱穴では、柱を引き抜くために掘り返された痕跡が確認された。 奈良時代の都・平城京(710〜784年)でも宮殿築造の際、直前まで都だった藤原京(694〜710年)の宮殿の柱や瓦などを持ち出して使っており、「卑弥呼の宮殿」でも再利用が進められた可能性が浮かび上がった。 纒向遺跡は3世紀後半、今回の発掘現場から東側に中心が移動し、最盛期を迎