仕事ができないと笑いものにしたり人格否定する類の文化があるけれどそれがとても苦手 自分自身が遅刻癖が治らなかったりホウレンソウのタイミングが苦手だったりで仕事ができないというのはあるけれど 仕事できる至上主義がとても嫌い 「あいつは仕事ができないからイライラする」「〇〇は仕事できないから死んでほしい」という過激な発言をする人がその場にいるだけで会話に入りたくなくなる 一方で結構そういう文化の人が多いのにもびっくりする そんなに人のアイデンティティに仕事が占める割合って大きいのかって思う
きっと私は誰かの一番はなれないし、私も誰かを一番に選ぶことなんてないんだろう。 産まれてから四半世紀。 私は誰かを好きになることもなく生きてきた。恋をすることなく生きてきた。 学生時代には友人の恋バナを聞いて、会社に入ってからは同僚や先輩たちの恋人の愚痴を聞いて生きてきた。いつかは自分もこうなるんだろうか、なんて考えながら。 小学生の頃、○○ちゃんは○○くんのことが好きだとかそういう噂話をよく聞いた。小学生の頃の「好き」は何だかおままごとみたいというか、噂する方もあまり真剣みがないというか、子供らしい遊びの一種というか、とにかくなんとなく「軽かった」。 中学生になってからは、そういう話は仲の良い子達だけでひっそりと語るようになった気がする。小学生の頃よりはそういった話題に慎重になった感じがするのだ。彼氏、彼女という言葉に現実味が出てきた。 テスト期間中、少し早く登校したときに、教室で同級生
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