ビジネス暴君と目指すハッピーエンド ~乙女ゲー世界で前世の推しアイドルと婚約!? もうただのファンじゃいられません~
最近、東洋経済オンラインの教育困難校シリーズを読むと泣きたくなる。 これ、うちの職場の話だ、と思って、泣きたくなる。 これ、どこにでもある話なのかな。 日本全国? 日本、まずくない? 毎日、授業にもならなくて、毎日、ババアとかブスとか、死ねとか言われまくって、 ちょっと強く言ったら、 教育委員会に言うぞとか、体罰だとか騒がれて、 でもそれが教員の仕事でしょ、って言われて、 そういう子に情熱を傾けるのが教員でしょ、それがやりたくて教員になったんでしょ、って そんなわけねーだろ、バーーーカ!! こんな目に遭うことまで想定して、教員になる奴なんていねーよバーーーカ!! そりゃ仕事だから、時間かけて生徒には関わるよ。保護者とも話すよ。 すぐに結果が出ないってことだってわかってるよ。卒業して何年も何年も何年も経ってから、本人も気づかないところで人生に少しでもプラスになれば万々歳で、そうじゃないことば
たまには役に立つことも書くかにゃー。 多くのヒトタチは、「障害者」と「健常者」のあいだに線引きをして、自分がなーんとなく「健常者」の側にいるような気がしているものですにゃ。 自分あるいは家族が現実的に障害者に相当していて障害年金の受給資格があるのに、もらい損ねているという事例がけっこうあるのは、そのあたりにも一因があるのかもしれませんにゃー。 1)内臓疾患・血液疾患・精神疾患でも障害年金は受給できる このエントリを書こうと思ったのは、身近に内臓疾患や精神疾患で障害年金が受給できることがわかってにゃー知りあいがいたからですにゃ。多くの疾患で障害年金の受給資格があることは、 http://www.matsui-sr.com/nenkin/shougai.htm あたりを参照していただければ概要はわかるのではにゃーかと。 リンク先を見ての通り 眼の障害・聴覚、鼻腔機能、平衡機能の障害・そしゃく・
まずコレ。 当事者であることは、何を意味しないか/世界、障害、ジェンダー、倫理☆ そうなんだろうか。研究者が障害者であれば、質的心理学研究における聞きとられる側の対象者である障害者への共感能力があり、搾取する意図もないことを意味するのか。そんなことは言えないと考える。田垣は、研究者と対象者(田垣の用語に従えば「協力者」)の間にある権力性に対しては敏感であるのだが、「同じ」障害者であるから共感し合い、帝国主義的関係から少なくとも距離をとることができると言っているように思える。しかし、同じ障害者であれば同じ視線で考えることができると言うことは、あまりにも危険すぎる。なぜなら、同じ障害者であることを利用し、搾取しようと考えることだってあり得るからである。そのような単純な事実に田垣が気づいていないはずはない。だとすれば、なぜこのようなことが言えるのか、僕には理解できないのだ。 さらに、論文中で「私
【写真:昨日の夕方、暗い雲がバックにあり、西に沈む夕陽からの光りが建物を照らすと浮き上がって見える。】 昨日ほんのちょっと飲んだお酒のせいか、大変に喉が渇いて眼が覚める。 昨日の参院予算委員会で民主党の峰崎直樹の日興コーディアル証券の粉飾決算行為についての質問に対して山本金融担当大臣も法務省も非常に歯切れの悪い答弁に終始している。個別事案であり、予断をもってお答えすることは差し控えるという。なにが作用しているのだろうか。複数年にわたる粉飾に関する行為に関与した関係者の問題がほぼマスコミによって報じられてもいないし、これまでの似通った事件に比べてどうも「日興コーディアル」に対する風が強くないと思われるのは何でだろうか。シティ・グループが引き受けることになったとしたらもうそれで解決なんだろうか。大いなる商圏を外資に受け渡すことによって全て解決だと云うことになるのだとしたら、なんだか裏がありそう
賃貸暮らしのわが家の地震対策【揺れから命を守る編】 以前のブログでも記載した、防災の優先順位に基づいて対策を進めています。まだ手をつけられていない部分もありますが、ある程度まとまってきたのでざっくりとご紹介していきます。 優先順位別に改善していっているため、今回は主に地震の揺れ対策がメインになります。…
中学に勤める知人から聞いた話。「ふられた」「シカトされた」「はずされた」「傷つけられた」等々、生徒さんたちはみんな友だちとの関係に(知人曰く)悩み悶え狂い、泣いたり吠えたりしているのだそうだ。そういう悩みを見聞きでき、中には打ち明けて相談する子もいるのだから、彼女はいい先生なのだろうと思う。思春期に入ったばかりの中学生の不安定さはただごとではないだろうなあ。「でも、もう大変。ふられたと泣くから『どうやって告白したの?』と聞くと、してないと言う。告白もせず、ふられたと決めつけて傷ついたと落ち込む。友だちと気まずくなったと訴える子に、思い当たる理由を聞いても『分からない』の一点張りだし、関係を回復するアプローチをしている子は皆無。どうして自分をシカトするのか相手に聞いてみる子もいない。相手にとっては何気ないちょっとした行為かもしれないのに」「相手に訴えかける言葉も表情も態度も知らない、使い方が
うまくいかない日に仕込むラペ 「あぁ、今日のわたしダメダメだ…」 そういう日は何かで取り返したくなる。長々と夜更かしして本を読んだり、刺繍をしたり…日中の自分のミスを取り戻すが如く、意味のあることをしたくなるのです。 うまくいかなかった日のわたしの最近のリベンジ方法。美味しいラペを…
激安★超特価商店街経由。 メタモフィギュア 涼宮ハルヒの憂鬱 涼宮ハルヒ (バニーVer.) 出版社/メーカー: バンダイ発売日: 2007/06/01メディア: おもちゃ&ホビー クリック: 48回この商品を含むブログ (35件) を見る 先日紹介したバニーハルヒが、アマゾンで取り扱い開始するなり「おもちゃ&ホビー」の1位な件。みんなよくわかってる。 (こういうエントリは“書き捨て”のつもりなので、後で見るともちろん順位は変わってると思うんですが、特に気にしていません←ということを言っておきますね) というのを考えていた。自殺の手段としてよくあるのが、吊ったり飛んだり飛び込んだりなのだけど、これってつまり、自殺を考える人はそもそも生活苦とかなので死ぬのにお金が掛けられない、というケースが多いってことなのでは、と思ったのだ。(若者は若者なのでやっぱりお金はないのだと思う) ぼくは生物学的な
■[社会] 「逃亡」という概念の存在しない場所で逃げることはできない ちょっと、一連の「自殺予告」の話をしたい。かなり個人的な話も入ってくるので、興味がない人はスルーで。 逃げることが「できない」学校という環境 一般的な疑問だけ述べれば、何故逃げないの?ということだ。或いはどこかに避難するとか。「いじめた人を殺」すなんて、何時でもできる。どこかに逃げるとか避難するという選択肢が(主観的にも)ないということが問題なのか。勿論、本人を責めるべき問題ではなく、問題なのは直接的には周囲であろうし、社会なのだろうとは思う。 逃げろや、逃げろ - Living, Loving, Thinking ご推察の通りで、学校という空間にいると「(学校から)逃げる」という発想ができなくなってしまう。なぜなら、この国の学校では、そこに自己の尊厳の全てを預け、人間関係を作り上げ、その中で自己実現を図ることが至極当然
すでに劇場公開は開始されていたものの観に行っていなかった映画『ゆれる』を渋谷シネ・アミューズで観てきました。ちなみに渋谷シネ・アミューズでは本日から公開開始で立見もでる超満員。監督は映画『蛇イチゴ』の西川美和監督。 蓮實重彦先生がトークで仰っておりましたが、映画を観て語る一つの方法として「一連の作品の中で偏執的に繰り返されている『同じもの』」を考えることがあるとのことですが、今回『ゆれる』を観ることで西川監督が繰り返し描くものが幾つか見えたように思います。ひとつは「(外面上はともかく内実は崩壊しかけている/している)家族」「そこに残りし者と出て行った者の対比」そして「森の中での当事者しか知らない出来事」。物語は「出て行った者の帰還」から始まり、登場人物が何かを失い何かを得て収束するという構造でした。 僕は最初の車から見える外の風景にすぐにやられてしまいました。あれこそ現代日本の地方の風景。
この号の特集は「自傷行為」。自傷といえば境界例、リストカットを思い浮かべる人も多いだろうけれど、実際には統合失調症や発達障害などでもみられるわけで、特集では幅広い角度から自傷を扱った論文が掲載されていて興味深い。 私としては、自傷者に共感できない人が、なんとか理解しようとして、しかし過剰に肩入れもせずに冷静に書いた論文が面白いし、役に立つ。それに対して妙に自傷者に肩入れして「つらさを共有しよう」とか「自分の若いころを思い出して接しなさい」とか抽象的なことをいっている論文は全然ぴんとこない。そんなこと言われたってなあ。 私は自分の体に傷をつけるなんて痛そうなこと考えたこともないので、リストカットなどの自傷をする人には全然共感することができない。ほんとにわからないので「つらさを共有」なんてできませんよ。でもなんとか理解したいとは思ってるわけで、同じような立場で書かれた論文の方が役立つのだ。 さ
▼ 芹沢一也『ホラーハウス社会』(講談社+α新書) これは好著。少年や精神障害者に対する社会のまなざしの変化をコンパクトに記述した本で、少年犯罪や精神障害者の犯罪の問題に興味のある人なら、ぜひ読むべき本である。『脳内汚染』とか読むヒマがあったらこっちを読んだ方がいい。なのだれど、こういう本が出てしまったことは、著者とほぼ同じ年齢で、しかも同じようなところに関心を持ってきた私としてはちょっと悔しい。 「理性ある成人」という人間の定義からはずれるため、法的主体になりえない「少年」と「精神障害者」。彼らが犯罪を起した場合、「少年」には「教育」を、「精神障害者」には「治療」を、という具合に、近代社会ではこの二つのカテゴリーは、長らく保護の対象になってきたわけだけど、90年代半ば以降、この原則が大きく転換した、と著者はいう。 まず「少年」については、少年犯罪は凶悪化も急増もしていない、という事実を踏
名著です。医療者も、医療を受ける立場の人も必ず読むべき一冊。 このところ、医療事故訴訟や医療過誤で医者が逮捕されたなどというニュースが毎日のように報道される一方、小児科や産婦人科、脳外科などの科の医師が激減していると報じられているわけだけれど、日本の医療の現場でいったい何が起こっているのか、マスコミはほとんど伝えない(伝える能力がない)から、知っている人はほとんどいない。 虎の門病院泌尿器科部長として勤務する医師が書いた本書は、現場の医師の立場から日本の医療を取り巻く厳しい状況と問題点を冷静な筆致で記し、対策を提言した本。今後日本の医療を論じるときにスタンダードになると思われる本で、著者の現状認識には、私も全面的に同意する。著者の批判の矛先は、マスコミ、大学医学部、法律家、厚生労働省、患者などさまざまな方面へと向けられているが、特に医者が患者の側を批判することはタブーとされている中、現場の
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