ALLKODOMO・中高生 The Japan News YOMIURI BRAND STUDIO よみバズ デジタル Y x S marie claire TV・動画 プロジェクト 広告賞
〈佐々涼子さんによる『紙つなげ! 彼らが本の紙を造っている』単行本刊行時(2014年7月)に開催されたトークショーの模様をお届けします〉 地元のため、そして本を待つ読者のために!津波で壊滅的被害を受けた製紙工場の復興の軌跡を徹底取材した、傑作ノンフィクション。 (ハヤカワ・オンライン『紙つなげ! 彼らが本の紙を造っている』より) 佐々涼子 Ryoko Sasa 1968年生まれ。早稲田大学法学部卒業。日本語を教師を経て、ノンフィクションライターに。新宿歌舞伎町で取材を重ね、2011年『たった一人のあなたを救う 駆け込み寺の玄さん』を上梓。2012年『エンジェルフライト 国際霊柩送還士』で第10回集英社・開高健ノンフィクション賞を受賞。 『紙つなげ!』 あの日の思いを読み継ぐために 東日本大震災で被災し、絶望的な状況に陥った日本製紙石巻工場。出版社と本を待つ読者のために力を尽くした、その奇跡
■大事なことをつなげていく 学術書と聞くと、単に学者の論文を集めた本、と思う人もいるだろう。でも、まず編集者にアイデアがあり、書き手を探し、できる本もある。 日本が開国した時、欧米だけでなく、中国系の商人もたくさんやってきた。それが日本の経済史に衝撃を与えた——という論文を読んだ名古屋大学出版会の編集者・橘さんは、「アジアからの衝撃は、文学では?」と考え、書き手を探し始めた。数年を経て、たどり着いたのが、当時、奈良女子大にいた中国文学者の齋藤希史(まれし)さんだ。「初めてお会いした時から、百年の知己に会ったようでした」 齋藤さんが東京大へ移ったあとも、なかなか本の形は見えなかった。だが、「アジアからの影響」ではなく、「日本と中国の相互作用」と考え方を変えたら、目次ができて『漢文脈の近代 清末=明治の文学圏』(名古屋大学出版会)が生まれた。発端の論文から十数年。橘さんは言う。 「自分がこれは
■赤貧の文士が名士になるまで 大正時代の半ばまで、文士は命がけの職業だった。兼業でなければ、とにかく食えない。困窮による病死、自死は数えきれず、「大正中期の時点で、50歳以上の現役作家は数えるほど。残りは文字通り生きていなかった」。そんな赤貧の文士が、出版ビジネスの発展とともに、億万長者の名士になってゆく過程を調べ上げた。 学習院大で日本文学を教えるかたわら、1912(大正元)年から1年ごとに、新聞の文芸欄や作家の日記をしらみつぶしに当たり、収入や納税に関する記述を拾い集めた。「断層写真を撮るイメージ。すると、19(大正8)年が転換点であることが見えてきた」 この年、「改造」など雑誌が次々と創刊され、作品の奪い合いから原稿料が高騰。書いた端から、原稿用紙がお札に化ける黄金時代がやって来た。その数年前まで、作家本人が食うや食わずだったのに、地方の旅館で作家の名をかたって信用させる無銭飲食事件
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く