半世紀にわたり現代詩の最前線を疾走し、朗読パフォーマンスや写真、映像へと表現の場を広げてきた詩人の吉増剛造さん(77)。東京の美術館で詩人としては異例の大規模な回顧展が開かれ、著作の刊行も相次ぐ。喜寿を迎えてなお奔放さを増す詩人に、創作の源泉を聞いた。(海老沢類) ◇ 「僕は戦後の先鋭な美術の影響を全身でかぶっている。美術館で何かをやることに抵抗はないんです」 東京・竹橋の東京国立近代美術館で開催中の「声ノマ 全身詩人、吉増剛造展」(8月7日まで)からは活字の枠に収まらないエネルギーが伝わってくる。 折々の自らの声を録りためた数百本ものカセットテープが並び、彫刻家さながら銅板に文字を打刻したオブジェもある。雑多な音や風景を定着させた映像作品「ゴーゾーシネ」も目に入ってくる。視覚や聴覚、触覚を揺らす作品は創造性や詩情が多様な形を取りうる証しでもある。6月に出た詩集『怪物君』(みすず書房)の自
■詩の源、自分でもびっくり 前衛的な詩活動で日本芸術院会員、文化功労者。そんな肩書とパフォーマンスのおちゃめさに、すごいギャップがある詩人の「自伝」。 聞き手と編集者の3人で1年近く対話を重ね、語りを書き起こしては、手を加えた。「楽しい作業でした」という。東京から和歌山に疎開した幼年期以来の過去をたどり、記憶を呼び起こす。「年も年だし、本気になり、正直に、慎重に」……ところが、記憶は言葉になる時に微妙にずれて揺らぎ、それを意識する精神の働きでまたずれる。記憶と言葉の揺らぎの奥を探る足取りが、異様に面白い。 新しく想起されることもあった。例えば初期の詩「空からぶらさがる母親」。自分でマザコンの詩だと思っていたが、疎開先の和歌山で、米軍機が大量の銀紙を空一面にまいた光景が心に焼き付いて詩の源になっていたとわかり、「自分でもびっくり」。 「僕は戦争の非常時の子で『非常時性』が生命の一番奥深くにあ
若者中心に人気の現代詩人家、最果タヒさん。最近では小説にも活躍のフィールドを広げられています。最果さんといえば、詩をつけまつげにするなど、その大胆な詩の表現方法が話題となっていますが、私(デッチ・佐久間)は、作品の中の言葉一つ一つの美しさにとても心惹かれています。 2015年の8月に出版された『 空が分裂する 』は、そんな詩の言葉の美しさがイラストとともに表現されている一冊。今回は、その詩に魅了されたデッチの「ぜひお話を伺いたい」というインタビューのお願いを、最果さんが快く受けてくださったことで実現しました。 美しい言葉と大胆な表現で詩を生み出す最果タヒさんに、詩の創作や本のこと、本屋さんについて、たくさんのお話をうかがいました。お話をうかがっていると、言葉に対する思いや、詩という表現方法への強い思いが、その言葉を通して伝わってきました。全3回のインタビュー、ぜひお楽しみください。 2
佐藤文香(さとう あやか1985年)。俳人。中学1年生で俳句と出会い作り始める。2006年、第二回芝不器男俳句新人賞対馬康子審査員奨励賞を受賞。著作に、句集『海藻標本』『君に目があり見開かれ』、詩集『新しい音楽をおしえて』。漫画『ぼくらの17-ON!』(アキヤマ香著/双葉社)で俳句協力。好きな肉は鴨。 ( 1 / 2 ) [その他の写真を見る] 第2句集『君に目があり見開かれ』を上梓した佐藤文香。 俳句とどうつきあっているの? 双極性障害とどうつきあっているの? 恋愛とどう向き合っているの? という3つ、そしてその3つがどう関わりあっているのかを聞いた。 先回りせずに、なるべくラフに質問した。話しにくい内容もたくさんあったと思うが、佐藤文香は率直にゆっくり話してくれた。 ■双極性障害と鬱はどう違うの? 米光 句集『君に目があり見開かれ』ですごく気になった句が、 焼林檎ゆつくりと落ち込んでゆ
戦争は俳句にどんな影響を与えたのか。古書情報誌「日本古書通信」編集長の樽見博さん(59)が、『戦争俳句と俳人たち』(トランスビュー)を出版した。戦前から戦中、終戦直後の俳句総合誌や結社誌、句集などを「自宅の6畳間がいっぱいになるほど」集め、探った労作だ。 日中が衝突する盧溝橋(ろこうきょう)事件が起きた1937年、山口誓子は俳句総合誌に「戦争と俳句」という文章を寄せた。戦時における季語のない「新興無季俳句」の可能性を問うものだった。誓子は、花鳥諷詠(ふうえい)を重んずる「ホトトギス」を率いた高浜虚子の、4Sと呼ばれた弟子の一人で、後に新興俳句へ転じた。季語を詠む伝統に、非常時に安住してよいか悩んだのだ。 「この本は、俳人の戦争責任を問いたいわけではありません。戦争という過酷な状況で、時代の波にのみ込まれながらも、ある時期までは俳句のあり方が真剣に議論されたことを、プロとは違う目で調べたかっ
■音楽を聴いたときの感動に一番近いのが詩から来る感動 〈人類は小さな球の上で/眠り起きそして働き/ときどき火星に仲間を欲しがったりする〉。谷川俊太郎さん(81)の処女詩集『二十億光年の孤独』(昭和27年)の表題作は、そんな印象的な書き出しで始まる。〈万有引力とは/ひき合う孤独の力である〉〈宇宙はひずんでいる/それ故みんなはもとめ合う〉…。軽みのある表現で宇宙と向き合う少年の孤独に分け入り、行間には感傷に流れない叙情が息づく。半世紀を超える創作活動の原点といえる一編を、現在の国民的詩人の目で振り返ってもらった。(聞き手 海老沢類) ◇ 同級生にすすめられて詩を書き始めたのは確か17歳のころです。非常に初歩的な天文学の知識があってね。「二十億光年」というのは当時の科学で観測できた限界の距離のことです。まだ人工衛星も上がっていない時代で人類が月に行くのもずっと
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