安倍晋三元首相(67)が8日午前11時半ごろ、奈良市で街頭演説中に銃で撃たれ、午後5時過ぎに死亡が確認された。第一報が報じられて以来、私のもとには友人・知人から次々とメッセージが流れ込んだ。日本でこんなことが起きるなんて、いったい何事か。誰もが同じ思いで当惑していた。
Published 2022/07/07 21:29 (JST) Updated 2022/07/07 21:58 (JST) 【ロンドン共同】英国のジョンソン首相(58)が7日、辞意を表明した。記者会見で与党保守党の新たな党首が選出されるまで職務を続ける意向を示した。新型コロナウイルス流行下でのパーティー開催問題などの不祥事が打撃となり、不信を強めた保守党内で辞任論が高まった上、財務相ら主要閣僚を含む多数の政権幹部が抗議の辞任を発表。相次ぐ離反で急速に求心力を失い、政権運営が困難な状態に陥っていた。 英メディアによると、保守党は10月の党大会までに新党首を選出する見通し。新党首の候補にはトラス外相や、5日に辞任しジョンソン氏退陣のきっかけを作ったスナク前財務相らが挙がっている。
歴史を修正するナショナリストか、それとも実践的な現実主義者か。戦後日本で最も長く総理大臣を務めた安倍晋三氏が残すもの、辞任後のその「レガシー」について、日本内外で専門家の評価が分かれている。 批判する人たちにとって安倍氏とは、第2次世界大戦中の日本の行動をともかくそれほど深刻なものではなかったことにしたい高齢保守層の態度を象徴しつつ、トラブルの要素をはらんだ過剰に強気の外交を展開しようとする存在だった。 一方で支持者にとって安倍氏は、世界における日本の地位を向上させた総理大臣だった。国として当然の正当な意欲と、世界3位の経済大国としての影響力を上手に調和させ、国益を実現しようとした人ということになる。
小野田少尉は1974年3月9日、やっと自らの剣を引き渡した。29年間、フィリピンのジャングルで持ちこたえた。日本に帰国後のインタビューや手記では、日本が降伏したことを受け入れられなかったと述べた。 部外者には小野田は狂信者に見えた。しかし帝国時代の日本では、彼の行動は完全に理にかなっていた。小野田は決して投降せず、天皇のために死ぬと誓っていた。女性を含めた他の国民も全員、同じ事をするはずだと彼は信じていた。 だがもちろん、そんなことはなかった。1945年8月15日、日本の最高神である裕仁天皇は、天皇として前例がなかったことをした。ラジオに現れたのだ。原子爆弾が広島と長崎を破壊していた。2つ目の原爆が投下された日、ヨシフ・スターリンが日本に宣戦布告した。ソビエト連邦軍はすでに、満州を席巻していた。数週間以内に、ソ連軍は北海道に上陸するとみられた。裕仁はアメリカへの降伏が最善の選択だと受け入れ
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