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ブックマーク / arecolle.hatenablog.com (5)

  • 外国人の人権とリベラル(1) - U.G.R.R.

    国憲法は第3章で基的人権の保障について規定していますが、その表題は「国民の権利及び義務」となっています。そこでこの「国民」という文言をとらえて、「基的人権が保障されるのは日国民だけだ」と主張する人が、ときおり見受けられます。 しかし基的人権のうちの少なからぬ部分は、人が人として生まれたことによって当然に認められる、国家を前提としない権利です(たとえば、自己の生命に対する権利など)。それゆえ、基的人権が日国民にしか保障されないと考えることは妥当ではありません。判例*1も、「憲法第三章の規定による基的人権の保障は、権利の性質上日国民のみをその対象としていると解されるものを除き、わが国に在留する外国人に対しても等しく及ぶ」としています。 リベラルも、こうした判例の考え方に総論としては賛成しています。しかしここで重要なのは、では具体的に外国人に対してどのような人権がどの程度保障

    外国人の人権とリベラル(1) - U.G.R.R.
  • 「ポリコレ棒」について - U.G.R.R.

    このあたりからはじまる一連の記事*1*2とそれらに対する一部の反応を見て、うんざりした気分になっている。いったいいつまで「ポリコレ棒」などというばかばかしい概念は跋扈するのだろうか。この手のことばはとりあげて問題視することでかえって広まってしまう側面もあるので少し悩んだのだが、しかしやはり一度は批判しておく必要があるであろうから、「ポリコレ棒」という語を用いることによって生じ(う)る弊害について簡単にだけ記しておくことにする。それは、おおむね以下の二点である。 第一に、個別具体的な問題が軽視されがちになること。ある指摘に対して「それはポリコレ棒で殴るものだ」という類の批判(これを以下「PC批判」という。)がなされる場合、PC批判は当該指摘を勝手に抽象化してしまい、結果としてそこで問題とされている具体的事案には目を向けられないということが少なくない。たとえば、差別主義団体が街頭デモで「○○人

    「ポリコレ棒」について - U.G.R.R.
  • 保守が人権を否定するのは自然なこと - U.G.R.R.

    それにしても杉田水脈が月刊誌「新潮45」に寄稿した例の文章はとんでもないものでした。ここまで酷いものが出てくると、「杉田は真の保守ではない」などと彼女を例外的な存在として処理しようとする向きもあるかもしれません。それが完全に誤りであるとは言いませんが、しかし基的に保守とは人権を否定・軽視する勢力なのだ、という話を、今日はしようと思います。 先日内閣不信任決議案の趣旨説明で枝野幸男も述べていたように*1、保守の起源はフランス革命にまでさかのぼります。ご存知のとおり、フランス革命とは18世紀末に起きた市民革命です。絶対王政が行きづまる中、人口の9割超を占めながらも参政権を与えられていなかった第三身分(平民)を中心とする人々が蜂起して行った一連の社会変革をこう呼ぶのです。 この革命は、啓蒙主義に基づいて行われました。これは、理性によって不合理な権威や制度、慣習等を批判し、これらから民衆を解放し

    保守が人権を否定するのは自然なこと - U.G.R.R.
  • 「自称中立」でした - U.G.R.R.

    少し前にかつて「ネット右翼」だったという琉球新報記者についての記事がありましたが、私も10代のころは、「ネット右翼」ではないにせよ、少なくとも「自称中立」とか「冷笑主義」などと批判されるタイプの人間でした。私は幸いこんにちではそうした考え方から脱却できているつもりでいますが、なぜかつては「自称中立」「冷笑主義」だったのか、またどのようにしてそこから脱却できたのか、について語ることは、現在「自称中立」「冷笑主義」などと批判されている方、あるいはこれらを批判している方などにとって多少なりとも参考になるのではないかと思い、恥を忍んでふりかえってみます。 まずなぜかつては「自称中立」「冷笑主義」だったのか。 これは責任をなすりつけるような言い方になってしまうのでとてもいやなのですが、やはり社会のせい、というのはきわめて大きいと思います。丸山眞男が「日の思想」において指摘した「思想が蓄積され構造化

    「自称中立」でした - U.G.R.R.
  • 「押しつけ憲法」論は誰も問題にしていないのか - U.G.R.R.

    はじめに 「誰も問題にしていない」わけはない 「主流派は問題にしていない」という程度の意味であると解した場合 「主流派は問題にしていない」とすら考えにくい 自由民主党の使命 自由民主党の近時の動き 安倍の発言 小括 仮に「主流派は問題にしていない」が事実だったとしても おわりに はじめに マッカーサーの書簡が発見されたということで、いわゆる「押しつけ憲法」論をめぐって多くのコメントが寄せられている。 はてなブックマーク - 東京新聞:「9条は幣原首相が提案」マッカーサー、書簡に明記 「押しつけ憲法」否定の新史料:政治(TOKYO Web) 私自身は、条項の発案者が誰であれ、日国憲法が有効に成立したとの結論は揺るがないと考えており、また今回の書簡が憲法9条の発案者を明らかにするうえでどれだけの意義を有するかという点についてもやや懐疑的なのだが、それはともかく、こうした話題で散見される「日

    「押しつけ憲法」論は誰も問題にしていないのか - U.G.R.R.
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