普天間飛行場移設問題 普天間移設非公式協議 98年3月当時、米「県外可能」を伝達2009年11月15日 米軍普天間飛行場移設をめぐり、大田昌秀知事(当時)が代替施設を拒否した後の1998年3月、日米の非公式協議でカート・キャンベル米国防次官補代理(現国務次官補)が日本政府の決定次第では、北九州など県外への移設が可能だとすることを、日本側に伝えていたことが琉球新報が14日までに入手した政府内文書で分かった。県外移設が不可能な理由について日本側が挙げた「沖縄の戦略的位置」を打ち消し、地元の反対など政治的に移設先を準備できないためだと指摘した。 文書は98年3月13日付。非公式協議は神奈川県内のホテルで開かれ、日本側から防衛庁審議官と外務省北米局審議官らが出席、米側はキャンベル氏のほか在日米大使館公使らが参加した。協議で日本側は、県内移設の理由を国民に説明するため、米側に認識の調整を申し出た。