すでにご存知の方も多いと思いますが、この数日、アメリカのメディアはジョージア州で死刑を執行される予定であった―そしてついに執行されたある死刑囚の話題を大きくとりあげていました。いくつかの記事に目を通したにすぎない私としてはこれを軽々に「冤罪である」と主張するわけにはいきませんが、証人となった目撃者の多くが後に証言を覆したことだけを考えても冤罪の可能性を真剣に考える必要性があったことは否定できないでしょう。死刑囚は「アフリカ系アメリカ人である」「警官殺しの嫌疑をかけられた」「ジョージア州に住んでいた」という三重の不利益をこうむっていた、という指摘もあります*1。 本来であれば、「死刑制度は正義の実現に貢献する」と考える人びとこそが、だれよりも冤罪の可能性について敏感であるべきです。真犯人の代わりに無実の人間を死刑にしたとすれば、死刑支持派は1人の人間を不当に殺害することにコミットし、将来真犯
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