ごく一握りの誠実で有能な方を除いて——と言うことにしておこう、皆無と言う訳じゃない——現在日本で文芸評論家として活動している人間は、概ね二種類に分けられる。チキンと、無能者だ。まあ文芸評論などというのは小説以上に食えないから、出版社のお覚えを損なわないよう、業界の爪弾きにならないようチキン化するのは理解できないこともない。しかし無能者と言うのは! 読解し論じるスキルなぞ努力次第で使える水準まで上げることも出来ように、それを怠っているというのは、これはもう犯罪である。 だから文芸評論は使えないと作家に言われるのだ。チキンや無能者の評論を反省の種にする馬鹿はいない。評論と実作の間の良きフィードバックなぞ、勿論望むべくもない。 では仲俣暁生氏はどちらであろうか。ブログに載せていた2009年のベストを見る限り、チキンであることはほぼ間違いない。立派な御用評論家ぶりだ。ではスキルの方はどうか。 20
保坂和志の『書きあぐねている人のための小説入門』というのは、 (活字化のため削除) 保坂は最初のほうで、いじめられっ子のような人間こそ小説を書くべきだが、自分などはそれどころかいじめっ子だった、と書いている。私は保坂の小説に感心したことがなく、何かほっとした。いじめっ子だった奴の書いた小説になど感心したら、情けないしね。 保坂は執拗に、ネガティブな経験などを描くな、と繰り返している。私はむしろ、ネガティブなことを進んで書くべきだと思っている。最後の方になると、「自分をいじめた小学校の同級生へのうらみつらみ」などを小説にすることを批判して、それは「小説という形式を利用しているだけではないのか」と書いている。利用して何が悪いのか。小説というのは、何でも書ける形式である。古来、数多くの作家が、小説という形式を使って、政治や社会を諷刺したり、批判したりしてきた事実を、保坂は無視している。だが、保坂
http://tamanoir.air-nifty.com/jours/2008/10/20081011.html ヒートアップしているのは、2ちゃんねるに書き込んでいるからってのと、僕の文体の特性なので、見苦しかったらすいません。スルーされても構わないので、もう一度ちゃんと反論しておきます。 基本的にはネオリベ化≒ジャスコ化による格差批判、であると受け取ってよろしいのでしょうか? その点に関しては僕もほとんど賛成しております。東氏・宇野氏は確かに、そのようなネオリベ化を「不可避」と考え、そのようなジャスコ化(三浦展によると、アメリカからの規制緩和要請で大店法が改正されたようなので、これもネオリベ化の一種と考えてもよいと思います)の条件を受け入れて、その上でなんとかしよう、という考え方に非常に近いですね。僕は彼らに対して、賛同はするけれども、ネオリベラリズムや格差の問題はどうにかしたほうが
http://d.hatena.ne.jp/kensyouhan/20081004/1223091287 またしても唐沢俊一検証blogからです。 唐沢俊一の最新刊『トンデモ事件簿』P.164より 話をIRAに戻すと、この団体は女王陛下のイングランドに楯突く凶悪なテロ組織なのだが、しかしイングランドに長年虐げられてきたアイルランドの独立を目指す組織なので賛同者も多く、あの“女王陛下の007”ことショーン・コネリーも、この団体には多額の寄付をしている(だからコネリーはいまだにサーの称号がもらえないでいる)。 これっぽちの短い文章がもう間違いだらけだ。というか、正しい部分がほとんどない。 1 IRAはアイルランド独立を目指す組織ではない かつてはそうだったけど、アイルランドはすでに1921年に連合王国いわゆるイギリスから独立しちゃってるから、もう、「目指し」たくても目指せないんだよね! もし、
1 ここしばらく私は、光文社古典新訳文庫の亀山郁夫訳『カラマーゾフの兄弟』がいかにひどいかということを書きつづけています。もしあなたがこれから初めて『カラマーゾフの兄弟』を読んでみようと考えているなら、この訳でなく、新潮文庫の原卓也訳になさい、と私はいいます。 私の主張はとても簡単です。訳者である亀山郁夫にそもそも『カラマーゾフの兄弟』が全然理解できて・読み取れていないので、彼の翻訳が正しいものであるはずがない、ということです。読解力のない亀山郁夫は、登場人物のひとりひとりを理解することができず、彼らの関係が理解できず、彼らが何をやりとりしているかも理解できないまま、この仕事をしました。 私は「ロシア文学の専門家・研究者」(でないとわからない)レヴェルでの亀山郁夫の『カラマーゾフの兄弟』解釈を問題にしているわけじゃありません。私が問題にしているのは、そんな専門家・研究者レヴェルではなく、ご
書評を「業績」として誇る経済学評論家 松原隆一郎『長期不況論』NHKブックス 著者は、東大の都市工学から駒場の「相関社会科学」とかいう意味不明の学科に行き、一時は西部邁氏のまねをして「社会経済学」なるものをやろうとし ていたようだ。しかし、そのうち西部氏が大学をやめてハシゴを外され、「ソシオエコノミックス」学派もあえなく解体してしまった。最近は、書評で「経 済学は非現実的だ」とか「アメリカ型資本主義は日本にあわない」とかいうお題目を唱えるのが主な仕事らしい。野球でも、選手として実績のない人は評論家に はなれないのに、著者のようにまともな経済学のトレーニングも受けていない人物が「経済学評論家」として営業できるのは、東大の看板のおかげだろう。 しかし書評ばかり書いていても様にならないので、最近は消費者心理の話に活路を見出そうとしているようだ。たしかに、経済学の効用最大化という仮
今年2月、「週刊現代」(講談社)の編集長が、加藤晴之氏から乾智之氏へと交代した。一時は「部数が伸びなかったため、更迭された」などと噂された(実際は通常の人事異動らしい)加藤氏だが、『革マル派に牛耳られたJRの真実』『大相撲八百長疑惑』『細木数子と暴力団のつながり』など、数々のスクープと、それに伴う訴訟の多さで話題を提供してきた人物である。 一方の乾氏も、ノンフィクション作家・本田靖春氏が絶賛したほどの編集者で、今後の誌面づくりが楽しみな人物だ。だが新任早々、乾氏が加藤批判を公の場で口にしたというのだから、穏やかではない。 その“公の場”というのが、業界誌「日本の編集長」(08年4月号/東京アドエージ)なる雑誌(ちなみに同社は、あの「噂の真相」編集長・岡留安則氏も在籍したことがあるという出版社)。「『週刊現代』の何をどう変えるのか!?」というインタビューで、乾氏は加藤氏について、以下のように
実名にこだわっておられるらしい小谷野敦さんが、以前予告していた通り、自分のブログで私の本名に関する情報を公開している模様。その情報を受け、一部ブログや2ちゃんねる等で既に私の本名が多数書き込まれています。「匿名批判は卑怯」という小谷野さんの「考え」を私に押し付けないでほしいと再三お願いし、エントリー公開後も削除するよう依頼のメールも送りましたが*1、聞き入れてはいただけなかったようです(しかも本人は「ちょっとだけ明かすことにする」と、譲歩したつもりらしい。なんだこのりくつ)。メールの内容に間接的にであれ勝手に言及しないでくれとも言ったのですが、それも華麗にスルー。残念です。ちなみに私が書いたのは「ぐずぐず」ではなく「ぐだぐだ」です(笑)。 小谷野さんには、実名を晒さないようお願いした際、自分は顧客と直接やりとりをする立場であるため、本名を書かれることで職場に何かしらの迷惑をかける可能性を懸
九月にここで、ちくま新書が出たら荻上チキの実名を明かす、と書いたら、ほどなくチキから、やめてほしいという懇願メールが来た。会社で仕事をしているので、顧客などに知れるとまずい、というのだ。 チキは私が小山エミと論争している時に、「小谷野さんがぐずぐずになっている」と書いているし(私はぐずぐずになどなっていない)、林道義をも批判しているから、匿名批判は卑怯だという考えのもと、明かすべきだと思うのだが、一点、躊躇されるのは、私がチキの実名を知っているのは、当人が本を送ってきた時に封筒の裏に書いてあったからで、当人が知らせてきたのを、当人が嫌がっているのに明かすのは、どうか、と思うからだ。もっとも当人は、封筒の裏に書いたことは忘れていたらしく、筑摩書房から聞いたと思ったらしいが、それは個人情報保護法違反だから、ない(筑摩の編集者とはもちろん時々電話で話すから、「本名知ってるんですが、明かすとまずい
Hi-STANDARDのボーカル&ベースを担当し、現在ULTRA BRAiNやTYÜNKとして活動中の難波章浩が、横山健主宰の「PIZZA OF DEATH RECORDS」に対する警告文を自身のサイトに掲載した。 1999年にリリースされたハイスタの3rdアルバム「MAKING THE ROAD」。日本のインディーズシーンに新しい風を吹き込んだ名作が廃盤になることのないよう、この問題の解決を祈りたい。 大きなサイズで見る 掲載された文章は「警告!PIZZA OF DEATH RECORDSよ!このまま原盤権を3等分する意思が無いのなら、アルバム『MAKING THE ROAD』は廃盤にするべきだ!Hi-STANDARDは君達のものではない。これは単なる金の話ではなく、作品に込めた魂の話だ!!」というもの。 「MAKING THE ROAD」は1999年に発表され、約60万枚のセールスを
大正10年生まれ、昭和41年!に「群像」編集長を辞めた人の本。面白い話は後にして、大塚英志に「純文学はマンガのおこぼれで成立してるじゃないか」と言われて笙野頼子がブチキレタ件に関する話。 終戦後文壇見聞記 作者: 大久保房男出版社/メーカー: 紅書房発売日: 2006/06メディア: 単行本 クリック: 7回この商品を含むブログ (5件) を見る「群像」ずっと赤字ですから。 戦争が終ったばかりで日本中が出版物に飢えていた時に創刊した「群像」は極くわずかの間黒字だったが、出版物が出回ると赤字になった。文藝雑誌の経験のない講談社では赤字の「群像」に対する風当りが強くなり、社長が議長となって全社的な規模で行われる新年号大会議では、赤字をなくせ、という要望が強く、赤字になるのは掲載作品がおもしろくないからだという批判がどんどん出て来た。時代小説はどの階層の人にもおもしろいから載せろとか、誌面をやわ
作家の坂東眞砂子さんという人が日常的に子猫を殺しているのだそうだ。 なぜ殺してはいけないかという「なぜころ問題」についてちょっとでも考えたことがあれば、殺してはいけないという絶対的な理由なんかはこの世界のどこにもなく、あらゆる命は等しく無価値(by新井英樹「ザ・ワールド・イズ・マイン」)であり、そのとき折々の関係性で成立するもんであって、つまりオール時価なわけだ。坂東さんのように生まれたしりから子猫を崖にぽいぽいと放り投げることが出来る人はそれが出来るのだから出来る人なんであって、そのことについて「猫がかわいそうニャ」とか「呪われろ!」とかを云っても書いても、気持ちはわかるが仕方ないんであって、坂東さんの住んでる地域では法律違反でもなさそうだし、どうにもならんな。 坂東さんは人間側から想像する<猫の生>を<生殖がすべてである>と解釈して代弁しつつ、尊重する手段として避妊手術を否定し「本能の
“疑惑の判定”で、日本中でバッシングの嵐にあっているWBA世界ライトフライ級王者、亀田興毅選手(19)の父・史郎さん(41)が7日午前、テレビ朝日の「スーパーモーニング」に生出演。亀田の態度などに批判的な発言をしてきた漫画家のやくみつるさん(47)=写真左、判定に疑問を呈してきた元世界王者のガッツ石松さん(57)=同下=と徹底討論。怒号飛び交うガチンコ対決となった。 「あれ(パフォーマンス)は性格上だから。このスタイルを崩すつもりはない。青春時代なんだからいいじゃないか。悪いこととしても、世間の迷惑をかけなきゃいいじゃないか」。黒いスーツ姿で大きく足を組んだ姿勢で、史郎さんは吠えた。 これに対し、やくさんは「息子がどういう風に挑発してるか分からせるため」として、サングラスにごついネックレス、胸をはだけたシャツ姿で登場。「これでカメをしばっとき」と、凧糸を手渡す“パフォーマンス”を見せると、
SFセミナーいった。 以下、手短に感想。 浅倉久志企画 柴野拓美の本とか読めば書いてあるような内容だし、今度出るというエッセイ集を読めばまあそれで、という事でもあろうけれど、そこで生きて存在して動いている浅倉久志が直に語っている、という生々しさが良かったです。内容はむしろ伊藤典夫伝説。 企画終了後に若そうな人たちが人名が分からないと言っていたのが印象的でした。 異色作家国内編 もうちょっと明治文学の話が聞きたかった。 志賀直哉が日本近代文学の基礎を固めてしまう前に主流になる事無く零れ落ちて言った可能性の中に日本の異色作家的想像力の萌芽がある、とは言えるはずで、その中で日本伴流文学の最大のスタアである内田百�の存在がクローズアップされる、というような流れで。あと。百�の師の漱石は主流文学の本流の人ではそもそもないというあたりも考えないといかんはず。多分、異色作家的想像力の根は想像以上に長く過
SFセミナー2006、本会と合宿企画に参加してきました。 http://www.sfseminar.org/ 他の企画の感想についても後述しようかと思いますが、話題沸騰(?)の件について。 23:00から始まった「SFとライトノベルの未来社会」(東浩紀)に24:30くらいから参加させていただきました。合宿企画3コマ目「SFでないという部屋」終了後の参加です。したがって企画開始後1時間半の内容に関してはまったく知りません。話題は、YOU TUBEについてとかだったのかな? 僕は3コマ目が終わって、会場がスタッフ部屋→企画部屋に変わるタイミングで企画に参加させていただきました。話題も仕切り直しっぽくなってちょうどよかった。 まず前提として 京フェス2003「SF雑誌ってどうよ?」など、東浩紀氏関連の企画・イベントには数回参加しています。が、東さんに個体認識は(たぶん)されていません。 東さん書
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