「ありのままの姿」や「本当の自分」のようなものがもてはやされて久しい。抑圧された生活の中で求められる役割を演じることに疲弊し、それらの存在を信じることが生きる糧になっているのかもしれない。しかし実際のそれは「意のままに好き勝手に振る舞う粗野な自分」や「理想化された自分」をあらわしているような気がする。 社会性を喪失しても良い、というのでなければ恐らくは概ね後者への憧れであると思われるが、あまりにもそれが拡張しすぎると実際の自分とのギャップに苛まれることになると思う。 また、それらを前向きに捉え過ぎた結果、自分にばかり価値を置いてそれが周りにもたらす影響についての配慮に欠ける行動を取るのは剣呑なことである。 例えば好意を伝えるということ。 好意を持ったり、それをきっかけに何かに精進したりすることは良いことだし、社会的影響の少ない学生であれば価値を置くこともやぶさかではない。ただし、それを相手

