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ブックマーク / ameblo.jp/owashiro (1)

  • 『岐阜命名シンポジウム』

    今年は織田信長が岐阜城に入城し、それまで城を稲葉山城、城下を井口といっていたのを両方岐阜として450年ということで、岐阜市では「織田信長公岐阜入城・岐阜命名450年記念」と銘打って、さまざまなイベントが組まれています。 その一環として、先日、岐阜市で「岐阜命名シンポジウム」が開かれ、私が基調講演として「織田信長はなぜ岐阜と命名したのか」を話し、そのあと、美濃源氏フォーラム事務局部の井澤康樹理事長との対談を行ってきました。 講演では、従来から知られていた政秀寺の沢彦宗恩のアドバイスのほか、横山住雄氏が『織田信長の尾張時代』の中で紹介されていた「蘭叔録」を取りあげ、崇福寺の住持栢堂景森から信長家臣鳴海助右衛門に「岐阜」を勧めたという可能性について話をしました。 対談の中で、井澤さんは、「岐」の字と土岐とのつながりを強調され、少林寺の住持東陽英朝の「少林無孔笛」に出てくる、岐山・岐陽・岐阜の中

    『岐阜命名シンポジウム』
    bt-shouichi
    bt-shouichi 2017/08/27
    「今年は織田信長が岐阜城に入城し、それまで城を稲葉山城、城下を井口といっていたのを両方岐阜として450年」/政秀寺の沢彦宗恩のアドバイス説、崇福寺の住持栢堂景森→信長家臣鳴海助右衛門説、土岐の「岐」説
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