潔白であることが証明されるまで聖人は常に罪人であると判断されるべきだ。しかし彼らに対してなされる試問はもちろん全て同じというわけではない。ガンジーの場合、問いたくなる質問はこうだ。ガンジーの行動はどの程度まで虚栄心……礼拝用の敷物の上に座り、純粋な精神の力によって皇帝を振り回す腰の低い裸の老人と自らを考えること……によるものであったのか、また政治の世界に足を踏み入れることでどの程度まで自身の原理原則に対して妥協をおこなったのか。なにしろ政治の本性は抑圧や不正とは切っても切れない関係ではないか? それに対する明確な回答を得るためにはガンジーの活動と彼が著した書物を限りなく詳細に研究しなければならないだろう。なぜなら彼の全生涯はいわば巡礼のようなものであり、その全ての活動が重要な意味を持つものなのだ。しかし一九二〇年代で終わるこの自筆の半生記この自筆の半生記:この評論自体はガンジーの自伝の評論
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