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2015年1月10日のブックマーク (2件)

  • 【イスラム・パリ銃乱射】"Je suis charlie”を掲げることは卑怯な行為だ

    ※追記:文中で人間違いを行うという致命的なミスを行ってしまいました。James Faronという方に触れていますが、正しくはFrantz Fanonです。当該箇所でも追記しております。混乱を招いたことをお詫び申し上げます。なお、お恥ずかしいことにJames Faronという名前も、正しくはJames Fearonです。彼もまた有名な政治学者です。 ※追記2:最後に若干加筆しました。 ※追記3:最後にほんの少しだけ加筆。件で真に掲げるべき標語について。 ※追記4:ブコメに対する返信をトラバに追加。及びブコメで指摘された誤訳について修正。 ※追記5:反応が非常に多いのですが、私の意図していることがあまり伝わっていないようなので、別エントリで行ったブコメへの返信の一部を載せます。また、追記3における文での誤字も修正しました。ご指摘ありがとうございます。 フランスではJe suis charl

    【イスラム・パリ銃乱射】"Je suis charlie”を掲げることは卑怯な行為だ
    btei
    btei 2015/01/10
  • 「表現の自由」の終焉? - 擬似環境の向こう側

    「表現の自由」=「強者だけの自由」? フランスでの新聞社襲撃に端を発する一連のテロ事件。「表現の自由」を脅かす深刻な事態であることは明らかであり、襲撃犯が厳しく罪に問われるべきことは言うまでもない。 その一方で、日語でのツイートを見ていると「あの新聞社の風刺は酷すぎる」という声は少なくない。また、ツイッター検索で“satire hate speech”で検索をかけると多くのツイートがヒットするのは、英語圏でも風刺とヘイトスピーチの違いについて疑問を持つひとがいるのだろう。 いずれにせよ、「表現の自由」という原理は、とりわけマスメディアのそれが関係する場合、もはやそれほどの訴求力を持たないのではないだろうか。言うまでもなく、表現に携わる人びとにとって自由はきわめて重要であり、それを維持するための努力は常に求められる。しかし、「言論の自由」や「表現の自由」が「強者だけの自由」でしかないという

    「表現の自由」の終焉? - 擬似環境の向こう側