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2015年8月24日のブックマーク (2件)

  • 「がんばる」評価経済

    がんばることは基的に良いことだ。なにごとも頑張らなければ成功はない。 それはそれとして、邦には誰かが頑張ったことを過剰に評価する風潮がある。 そりゃがんばったんなら成功しようがすまいが褒めてあげればいいんだろうけれど、一部の人たちは「◯◯ちゃんはすごくがんばった」ことを外部へ向けて印籠代わりに使いたがる。往々にして頑張った人ではなく、頑張ってる◯◯ちゃんを応援する人びとが、だ。 「がんばること」は尊いので、成果物に対するあらゆる批判を封殺することができる。 関わったスタッフはみな血反吐を吐くような努力をして作品を作りました。 アイドルは下積み時代に地べたを這いずるみたいな大変な思いをしました。 うちの社員は毎日残業続きですが誰も弱音を吐いたりせず有給も会社です。 彼ら彼女らの献身や自己犠牲は尊い。それ自体は美しい。 しかし、その結果として、クソみたいな映画やマンガや曲や小説やプロダク

    「がんばる」評価経済
    btei
    btei 2015/08/24
    長時間労働
  • 「私は別にいいと思うけど」 – sociologbook

    こんなことを言ったひとがいた。 「学生がデモに参加したら、就職できないかもしれない。べつにデモに参加するなとは言わないけど、世の中そんなに甘くないから。そういう会社も多いからね」 うまく言えないけど、こういう語り方に似てるものはたくさんある。 社会学者の野口道彦(大阪市大人権問題研究センター名誉教授)の主著『部落問題のパラダイム転換』(明石書店、2000年)に、こんな語りが紹介されている。部落問題に関するアンケートの自由記述部分を集めて分析している章のなかで引用されているもののひとつの、そのまたごく一部だけど、こういうもの。 「差別はいけないことだと思っていても、もしも我が子が被差別部落の人とつきあったりということになると、悩んでしまうかもしれないというのが現状です」 部落の人と結婚しようとする我が子に対して、自らの結婚差別を正当化する語りとして、親からよく語られる、ある種の語りのパターン

    btei
    btei 2015/08/24
    自分にとって利害の無い、他者の正義によって負わされるコストをどこまで許容できるか