安倍晋三首相の訪米に関連して、『岸信介回顧録』(廣済堂)の一場面を思い出す。 昭和32年6月、首相となった岸が訪米し、ホワイトハウスを表敬訪問した際、アイゼンハワーにゴルフに誘われ、プレーのあと2人は裸でロッカールームからシャワー室に向かったというのだ。 アイクに誘われるまま、まさに裸のつき合いをした岸が夕刻大使館に戻るのを、アイクは自分の車で送ったという。岸はアメリカ大統領の心をつかんだのである。 翌日の本会談で岸が安保改定を申し入れると、国務長官のダレスは即、対応し、日米安保委員会の設置を提案した。アメリカ側から駐日米国大使、太平洋およびハワイの軍司令官、日本側から外務大臣、防衛庁長官を委員として、委員会は早くも8月初旬に発足し、約3年後、日米安保改定が実現した。 アメリカ政府のこの対応は、その2年前の8月に鳩山一郎内閣の外相、重光葵が訪米したときとは様変わりだった。当時、幹事長として