東京都美術館の吉田博展に行ってきた。登山に行きにくいご時世になってしまったが,登山の絵を見ることはできる。ありがたいことである。 吉田博は黒田清輝の10歳年下になる,1876年生まれであるから明治の後期,日本に西洋美術が定着し始めた頃から活動を始めている。貧しい家の出身だったが秀才で知られて福岡の修猷館中学に入学,そこで今度は画才を認められ,そこで図画の教師をしていた吉田嘉三郎の養子となった。吉田嘉三郎は中津藩の御用絵師出身で,娘が4人いたが,そのうちの一人が後に吉田博の妻となる。この妻の「ふじを」も当時としては珍しい女性画家として有名になる。ところが嘉三郎が33歳で急死,吉田博は18歳にして家長となり,画家として稼がなくてはならない立場となった。この状況で5年後の明治32年,23歳のときに急遽アメリカ旅行を敢行,これが何と大きな成功を収めた。エキゾチックな日本の風景画が受けたのである。吉