村田門左衛門はいわゆる「目付」だった? 素性やどこに住んでいたのかなど一切不明、ですが「薩摩での任務をこなせる力量があると認められて抜擢・派遣された優秀な人物だったのだろう」と研究者は推察しています。 その村田門左衛門の報告書には薩摩の財政状況や藩主の近況、外交に関する細かな記載など多岐にわたっています。 例えば…(※2) 【年貢徴収の状況】 「薩摩藩領内では去年の年貢は所により大規模な虫害で農民たちは困っていると聞いています。まずは未進分(年貢を完納していない分)を厳しくお取りになり、取り切れなかった分はご容赦なさるとのことです」 【島津光久(※3)の娯楽】 「薩摩守様(島津光久公)のお楽しみは猪狩りばかりなさっていると聞いています」 また中でも鹿児島(鶴丸)城の一部が洪水で流されていたことや、薩摩藩が厳しく弾圧していた浄土真宗の信者、いわゆる一向宗を島流しにしていたことは、これまでに資