ブックマーク / kangaeruhito.jp (3)

  • 「わけのわからないもの」の鎮魂 | 「帰って来た橋本治展」記念講演&対談 | 松家仁之 | 対談・インタビュー | 考える人 | 新潮社

    著者: 松家仁之 1977年、小説「桃尻娘」でデビューした橋治さんは、以降、小説や古典の新訳、社会時評、評論、イラストレーション、ニットなど多種多様な作品を残し、多くの人を楽しませてきましたが、2019年1月29日、惜しまれつつ70歳でこの世を去りました。 その膨大な「仕事」を軸に生涯をたどる展覧会「帰って来た橋治展」が神奈川近代文学館にて開催中です(2024年3月30日~6月2日)。開催を記念して行われた同展編集委員の作家・松家仁之さんによる講演、さらに橋さんの実妹である柴岡美恵子さんを迎えた対談を採録。家族しか知らない貴重な橋さんの姿から、編集者として橋さんに教わったこと、展覧会の見どころまでをふたりが語ります。 こんにちは、松家と申します。よろしくお願いします。 今日は橋治さんの実の妹である柴岡美恵子さんもいらっしゃっています。美恵子さんといろいろお話をするようになったの

    「わけのわからないもの」の鎮魂 | 「帰って来た橋本治展」記念講演&対談 | 松家仁之 | 対談・インタビュー | 考える人 | 新潮社
  • 第3回 俵屋宗達は匿名である | 橋本治+浅田彰 日本美術史を読み直す――『ひらがな日本美術史』完結を機に―― | 橋本治 , 浅田彰 | 対談・インタビュー | 考える人 | 新潮社

    著者: 橋治 , 浅田彰 先日亡くなった橋治さんは、『ひらがな日美術史』全7巻完結後に、浅田彰さんと「新潮」2007年8月号にて対談をしました。浅田さんが『ひらがな日美術史』という仕事を高く評価していたことから実現したもので、活字になったの二人の対談はこれ一回のみです。二人の大ファンである私にとって、この対談は夢のような時間でした。今回、浅田彰さん、橋治さんご遺族のご厚意により、この「新潮」掲載版の対談を復刻掲載いたします。(編集長 松村正樹) 浅田 橋さんが考える日美術史のピークは、一つはいまの後白河法皇のあたり、もう一つは安土桃山時代から江戸時代の初期まででしょう。さらに強いて言えば、一番のピークは俵屋宗達あたりですか。 橋 誰が一番うまいんだって考えると、それは俵屋宗達でしょうね。論理的な根拠じゃなくて、作品がそれを言ってるんだから、それを前提にして話を作っていかざる

    第3回 俵屋宗達は匿名である | 橋本治+浅田彰 日本美術史を読み直す――『ひらがな日本美術史』完結を機に―― | 橋本治 , 浅田彰 | 対談・インタビュー | 考える人 | 新潮社
    candysearchlight
    candysearchlight 2021/11/09
    “丹下健三・磯崎新組の「お祭り広場」のプランは、弥生的なものを暗黙のベースに、情報化社会にふさわしい「見えない建築」をつくろうというものだった。そこへ岡本太郎が大屋根をぶち抜いて「太陽の塔」を建てて”
  • 番外編 ドナウ川が青く見えるのは恋をしている人だけ | 御つくりおき――京都のひととモノとのつきあいかた―― | 入江敦彦 | 連載 | 考える人 | 新潮社

    治のを買った店をすべて記憶している。――ことに気がついて驚いた。正直もの覚えの悪い人間で、ほかの作家、たとえば同じくらい大きな影響を受けた中井英夫についてもそうかといえばちっともそんなことはないので、やはりわたしにとって橋治というひとは特別なもの書きだったといえよう。 出会いはマンガを文学として読み解いた評論集『花咲く乙女たちのキンピラゴボウ』。京都の河原町御池バス停前にあった「ふたば書房」だった。映画館帰りのたそがれは逢魔の時間。あった場所まで記憶している。店内一番奥の書架、右から二枚目の棚の下から二段目、中央よりに前後篇の二冊が並んでいた。「ああ、橋治かあ」と手に取った。漫画評論雑誌『ぱふ』(当時は『だっくす』)で不思議なパロディ漫画を描く人としてすでに認知してはいた。「へー、こんなのも書くんだ」。 いわゆる少女漫画マニアだったわたしの琴線を大島弓子の表紙は激しくかき鳴らした

    番外編 ドナウ川が青く見えるのは恋をしている人だけ | 御つくりおき――京都のひととモノとのつきあいかた―― | 入江敦彦 | 連載 | 考える人 | 新潮社
    candysearchlight
    candysearchlight 2021/02/07
    “どうして人と上手くつきあえないんだろう、どうして人が好きというものが好きになれないんだろう、どうして自分の好きなものが好きだといってもらえないんだろう”
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