古代道路の例。東山道武蔵路跡(東京都国分寺市) 日本の古代道路(にほんのこだいどうろ)は、古代日本の道路または道路網を指す。特に、中央政府・律令体制構築期の政府が、古墳時代、飛鳥時代、奈良時代、平安時代前期にかけて計画的に整備・建設した道路または道路網を指す。 令文・史料には、駅、駅路、駅馬、伝馬の名が見られ、駅の制度と伝馬の制度とを合わせて、駅伝制と呼ぶ。道路自体の整備に関わる記述は少ない。 駅路は、発掘により、地方では 6–12 m、都の周囲では 24–42 m に及ぶ広い幅員を持ち、また、路線形状が直線的である(時に直線が 30 km 以上)という特徴を持つ。当時の中国(隋・唐)における道路制度の強い影響が想定されている。直線道路は、まず7世紀初頭の奈良盆地で建設されはじめ、7世紀中期ごろに全国的な整備が進んでいった。しかし、8世紀末 - 9世紀初頭(平安時代初頭)に、実効性が乏しい
黄金の島「ジパング」実はフィリピン? 2007年09月04日 マルコ・ポーロの「東方見聞録」に登場することで知られる「ジパング」。欧州の人々のあこがれを集めた黄金の島は日本だとされてきたが、実はフィリピンだったのでは……。古文書や古地図をもとに、こんな新説が現れた。これまでの常識を覆す説で、専門家の間でも賛否の声が交錯している。 「見聞録」の挿絵に、欧州で描かれたモンゴル海軍の遠征の様子。攻め込んだ「黄金島」はどこにあったのだろう=パリ・アルスナル図書館蔵、WPS 新説はスペイン在住の的場節子さんが8月に出版した著書『ジパングと日本』(吉川弘文館)で唱えている。03年に国学院大に提出した博士論文が下敷きだ。 中央アジアや中国を旅したマルコ・ポーロは、その経験を1298年にイタリアのジェノバで口述、それが「東方見聞録」とされている。14世紀以降、欧州の様々な言語に翻訳された。 写本は150点
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