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宗教とアートに関するcastleのブックマーク (2)

  • 3ToheiLog: 「アート=食人儀式」というエンターテインメント商品

    「アート=人儀式」というエンターテインメント商品 その昔、美術館に展示されたゴッホの椅子の絵の前で、30分くらいその絵とにらめっこしたことがある。 「よほどその絵が好きなんだねえ?」 と言われたが、多分そこまで好きだったからではない。なんで、この絵がそんなに評価されているのか、その理由を発見したかったから、にらめっこしていたのだ。 「ゴッホみたいな激しい絵」を描く人は、結構他にもいる。だが、ゴッホだけは「芸術家の代名詞」として別格で扱われている。何故か? そんなことを考えながら、ゴッホの絵を見ていた。 私の結論、現時点の結論は、「ゴッホ自身の人生がエンターテインメントとして消費されているから」だ。 「生きているときには評価されないけれども、後世で絶大な評価された」という物語のシンボルとして、そんなエンターテインメントとして評価されているのだろうと思っている。 「世界に理解されない自

    castle
    castle 2008/03/04
    「「他人の罪を引き受けて処刑される」というキリストの物語は、宗教として流通する。「世界に理解されなかった激しい思い」というゴッホの物語は、アートとして流通する。プレミア価格で」「食人=人格を食べさせる
  • ついでにシュタイナーについて - finalventの日記

    なんだかコリン・ウイルソンみたくなってきたが。 シュタイナーという人自身は、自身と一般の人との関わりをよくわかっていた。だから、そう混乱をもたらすようなことを一般向けには言わない。 で、いわゆるシュタイナー教育だが、実際にシュタイナーの原点に即していけば、霊だとか転生だとかあの気持ち悪いジャンクスは含まれていない。ただ、西洋芸術(プラス、イスラム)の質的なものだけがきれいに、体得できるようになっているので、そうした芸術のあるなにかを体のなかに写し取るようにして、そこからシュタイナーという芸術家をその作品的に理解していけばいいのだろうと思う。 単純にいえば、オイリュトミーだし、そこには、フォルメンが含まれる。 それ以上の議論はどうしても上滑りになる。

    ついでにシュタイナーについて - finalventの日記
    castle
    castle 2007/03/21
    「シュタイナー教育だが、シュタイナーの原点に即していけば、西洋芸術(+イスラム)の本質的なものだけがきれいに、体得できるようになっている」「単純にいえばオイリュトミーだしそこにはフォルメンが含まれる」
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