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2007年3月21日のブックマーク (17件)

  • 増田フィクション劇場第二幕「1書き込み100円のペーパーカンパニー」

    今日も私は国民を欺いている。 私たちの主な仕事2ちゃんねる等のニート、フリーター達が集まる掲示板やブログの監視とコメントの書き込み。1書き込みは100円だ。上限はない。書けば書くだけ金が転がり込んでくる寸法だ(もちろん、会社の意向に沿わない書き込みは対象外だが)。給料は国民の血税から出ているから、私たちは会社の屋台骨を気にすることなく毎日大量の書き込みができる。 書き込みの内容は、主に反日、嫌韓、嫌われ者作り。「チョンは氏ね」「こいつのどこが美人なんだ?ブサだろ」「空気嫁」と、対立や書き込みを煽る発言が大半だ。「釣り」と言われようが気にせず続けることがポイント。釣ろうが釣られようがそいつはそのスレッドに来たことになり、盛り上がりの一端を担ってくれるからだ。他にも「日は私が変える!」といきまく人間のブログに賞賛の書き込みを大量に投下し、ブログに縛り付け外に出なくさせる作戦も行っている。こ

    増田フィクション劇場第二幕「1書き込み100円のペーパーカンパニー」
    castle
    castle 2007/03/21
    「救いようのない構図だが、これを打破しようとする人間は今はブログで自分の意見をこれ見よがしに披露し、私たちの書き込みによって悦に浸ってしまっているからこの国で目立った革命が起きることはまずないだろう」
  • 業界用語 - Wikipedia

    この記事には複数の問題があります。改善やノートページでの議論にご協力ください。 出典がまったく示されていないか不十分です。内容に関する文献や情報源が必要です。(2011年9月) 独自研究が含まれているおそれがあります。(2013年4月) 百科事典的でない記述が含まれているおそれがあります。(2013年4月) あまり重要でない事項が過剰に含まれているおそれがあり、整理が求められています。(2013年4月) 出典検索?: "業界用語" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL 業界用語(ぎょうかいようご)は、同じ職業の集団内(業界)や、それに詳しい人たちの間で用いられる、一般に広く通じない単語や言葉である。 業界用語概要[編集] 日語の場合、一般的ではない読みをわざと用いて、特別な意味であることを

  • 俗称一覧 - Wikipedia

    この項では、固有名詞の俗称(通称)を一覧にする。 左に俗称(通称)、右に正式名称を示す。 固有名詞が一般名詞化したものを含む。 商標が普通名称化したものは除く。

    castle
    castle 2007/03/21
    「独占禁止法(独禁法) - 私的独占の禁止及び公正取引の確保に関する法律(日本) 」長っ!w
  • 感染呪術 - Wikipedia

    この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方) 出典検索?: "感染呪術" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2019年7月) 感染呪術 (かんせんじゅじゅつ、英: contagious magic)とは、文化人類学者のジェームズ・フレイザーが定義した、人類学における呪術の性質を表す言葉である[1]。感染魔術とも。 ジェームス・フレイザーは初期魔術の典型である「共感呪術」の一種として、一度接触したものあるいは一つのものであったもの同士は、遠隔地においても相互に作用するという「接触の法則」を提唱している。感染呪術ではその法則に基づき、ある個人に対してその着衣や、爪、髪の毛、歯などを呪術に用い

    castle
    castle 2007/03/21
    「民俗学における呪術の性質を表す言葉。一度接触したものあるいは一つのものであったもの同士(ある個人とその着衣、爪、髪の毛など)は、遠隔地においても相互に作用するという発想を元にしている」
  • 金枝篇 - Wikipedia

    出版[編集] フレイザーは人類学者エドワード・バーネット・タイラーの著作に影響を受けて格的に宗教学や民俗学・神話学を研究するようになり、その成果として1890年に2巻の『金枝篇』初版を刊行した。その後も増補が繰り返され、1900年には3巻の第二版、1911年に決定版として第三版が11巻としてまとめられた。しかしその後にも研究は続けられており、更に1914年には索引・文献目録、1936年には補遺が追加され、この2巻を合わせた全13巻の決定版が完成した。 この著書はあまりにも大部で分量が多すぎるため、一般読者にも広く読まれることを望んだフレイザー自身によって、1922年に理論面の記述を残して膨大な例証や参考文献を省略した全1巻の簡約が刊行されている。 内容・評価[編集] 書にはヨーロッパのみならずアジア、アフリカアメリカなど世界各地で見られる様々な魔術・呪術、タブー、慣習など、フ

    金枝篇 - Wikipedia
    castle
    castle 2007/03/21
    「金枝篇(The Golden Bough)は英国の社会人類学者ジェームズ・フレイザーによって著された未開社会の神話・呪術・信仰に関する集成的研究書である」「宗教的権威を持つ王が弱体化すれば殺して新たな王を戴く王殺し」
  • ルドルフ・シュタイナー - Wikipedia

    この記事には複数の問題があります。改善やノートページでの議論にご協力ください。 出典がまったく示されていないか不十分です。内容に関する文献や情報源が必要です。(2015年10月) 独自研究が含まれているおそれがあります。(2015年10月) 出典検索?: "ルドルフ・シュタイナー" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL ルドルフ・シュタイナー(Rudolf Steiner, 1861年2月27日 - ) 1925年3月30日(64歳没))は、オーストリアやドイツで活動した神秘思想家、哲学者、教育者である。ゲーテの自然科学論や学芸雑誌の編集に携わりながら、前衛的な団体やアナキズムの傾向をもつ人々と関係するようになり[1]、ニーチェ主義的な[2]自由思想の立場に至るが、神秘思想の講演者に転身し[

    ルドルフ・シュタイナー - Wikipedia
    castle
    castle 2007/03/21
    この説明だとオカルティックに見えるのは、解説に使われてる日本語がオカルトの流れを汲む表現が使用されてるからっぽい言語の問題なのかも? カント読んでるようだし、霊的云々はモノ自体みたいな話かも?
  • 神智学 - Wikipedia

    概説[編集] ヘレナ・P・ブラヴァツキー 〈神智学〉は、ロシア出身のヘレナ・P・ブラヴァツキー(通称ブラヴァツキー夫人、1831年 – 1891年)に始まる思想・実践で、現代で神智学と言えば、こちらを指すことが多い[4]。アメリカ人のヘンリー・スティール・オルコット(通称オルコット大佐、1832年 - 1907年)とブラヴァツキーらが1875年に組織した神智学協会(神智協会)によって広められた。神智学協会は「真理にまさる宗教はない」をスローガンに掲げている[53]。 ブラヴァツキーによれば、〈神智学〉運動とは、太古より特定の秘儀参入者によって伝承されてきた宇宙と人間の秘密から、時代ごとにふさわしい形式で東西の宗教が発生してきたとされ、その諸宗教の対立を超えて、秘密の重要部分を公開することで、再び古代の根源的な「神的叡智」への回帰を目指そうとするものである[54]。その〈神智学〉は、「西洋伝

    神智学 - Wikipedia
    castle
    castle 2007/03/21
    「心霊、および霊的世界を研究する事で、人間の精神の内部に潜む「宇宙の根元と同質のもの」を掘り起こそうとするもの」「アカシックレコードが存在するとして、秘儀参入者や予言者はそれにアクセスして知識を得る」
  • 人智学 - Wikipedia

    人智学(じんちがく)とは、ギリシア語で人間を意味する ἄνθρωπος (anthropos, アントローポス)と、叡智あるいは知恵を意味する σοφία (sophia, ソピアー)の合成語、すなわち逐語的には「人間の叡智」を意味する ドイツ語: Anthroposophie の日訳語である。ドイツ語音からアントロポゾフィーと音訳される[* 1]。 19世紀末から20世紀初頭にかけてドイツ語圏を中心とするヨーロッパで活躍した哲学者・神秘思想家のルドルフ・シュタイナー(1861年-1925年)が自身の思想を指して使った言葉として有名であるが、この言葉自体は初期近代(近世)にすでに使用されている。[要出典] 人智学という言葉を使用したドイツ語圏の哲学者イマヌエル・ヘルマン・フィヒテとイグナツ・パウル・ヴィタリス・トロクスラー(ドイツ語版)は、人間には超感覚的存在としての側面があるという考え

    castle
    castle 2007/03/21
    「人智学(神智学)は「善の科学」に分類され、「自然的事物に関する知識」あるいは「人間的事象に於ける狡猾さ」と訳される」「生智学は「自己認識を通して得る自然認識」」
  • この世界に、この宇宙に、神秘的な何かがあるのかもしれないけど、多分、私には関係ない - finalventの日記

    そして多分多くの人の人生にも関係ない。 スピリチュアルなものなんて何もない。 人生の理不尽なできごとになんとか理屈(物語)をつけたいけど、普通の理路というか常識ではつかないから、へんてこな公理を持ち出しているのがスピリチュアル。 でも、そんなものはない。 精神的な修行とかしても、どこにも到達しない。 ピアノとか具体的な物の練習したほうがなんぼかまし。 人生というのはうまく説明できない不合理な出来事の累積だし、自分の日常行動の混乱と同じ。 ただ、人の心というのは不思議なものだという不思議さがそういうがらくたを誘惑するのは、しかたない面がある。

    この世界に、この宇宙に、神秘的な何かがあるのかもしれないけど、多分、私には関係ない - finalventの日記
    castle
    castle 2007/03/21
    「人生の理不尽なできごとになんとか理屈(物語)をつけたいけど、普通の理路というか常識ではつかないから、へんてこな公理を持ち出しているのがスピリチュアル」「でも、そんなものはない」オチがついてた。
  • ついでにシュタイナーについて - finalventの日記

    なんだかコリン・ウイルソンみたくなってきたが。 シュタイナーという人自身は、自身と一般の人との関わりをよくわかっていた。だから、そう混乱をもたらすようなことを一般向けには言わない。 で、いわゆるシュタイナー教育だが、実際にシュタイナーの原点に即していけば、霊だとか転生だとかあの気持ち悪いジャンクスは含まれていない。ただ、西洋芸術(プラス、イスラム)の質的なものだけがきれいに、体得できるようになっているので、そうした芸術のあるなにかを体のなかに写し取るようにして、そこからシュタイナーという芸術家をその作品的に理解していけばいいのだろうと思う。 単純にいえば、オイリュトミーだし、そこには、フォルメンが含まれる。 それ以上の議論はどうしても上滑りになる。

    ついでにシュタイナーについて - finalventの日記
    castle
    castle 2007/03/21
    「シュタイナー教育だが、シュタイナーの原点に即していけば、西洋芸術(+イスラム)の本質的なものだけがきれいに、体得できるようになっている」「単純にいえばオイリュトミーだしそこにはフォルメンが含まれる」
  • ついでにクリシュナムルティについて - finalventの日記

    クリシュナムルティの愛読者はそれなりに多い。みんな勝手に読んでいる。私もその一人以上のものはない。その限定で言うのだけど、クリシュナムルティを理解するときに一番大切なことは彼を聖人と見ないこと。普通の人。彼の教えを学ぶときの、逆説的に重要なことは、「私がいなかったらみなさんはどう学びますか?」。つまり、クリシュナムルティという人は不要だということ。 で、さらに逆説的に、だから、クリシュナムルティという人に関心があるなら、ルーチェンスの伝記とか読まずに、これを読んだほうがいい。 ⇒「 キッチン日記―J.クリシュナムルティとの1001回のランチ: : マイケル クローネン,Michael Krohnen,高橋 重敏」 追記 これもウィキペディアの項目があった。へぇ。 で。 ⇒クリシュナムルティの思想 : ジッドゥ・クリシュナムルティ - Wikipedia クリシュナムルティの思想の中心とな

    ついでにクリシュナムルティについて - finalventの日記
    castle
    castle 2007/03/21
    「クリシュナムルティを理解するときに一番大切なことは彼を聖人と見ないこと。普通の人」「あるがまま」が闘争矛盾恐怖欲望習慣努力自我で、それらを覆い隠すために真理神愛自由永遠といった観念を思考が作り出す」
  • グルジェフィアン - finalventの日記

    ウィキペディアにも載るようになったのか。ちょっと驚き。 ⇒ゲオルギィ・イワノヴィッチ・グルジェフ - Wikipedia よく書けていると思うし、そう大きな間違いはないけど(憶測が多いのはしかたがない)、全体としては、たぶん、これはグルジェフの説明に全然なっていない。 という言い方は書かれたかたはむっとされるか、おめーのほうがわかってないとかなるかもしれない。 ただ、たぶん、ある一定以上、グルジェフに理解のある人なら同じような感想を持つだろうと思う。 で、問題は、そのある一定以上理解のある人である種の共通した認識が得られるかというと難しい。 関連リンクで見ると、これはすごいな。 これ⇒Gudjieff Archive & Resources in Japanese でも、私はこうしたすごさにのめりこむことはないだろうと思う。グルジェフを卒業したわけではない。私なりのグルジェフの理解が今の私

    グルジェフィアン - finalventの日記
    castle
    castle 2007/03/21
    「ま、ちょっと言うと、ウスペンスキーを全て捨てなさい」「その憧れの感触のなかにグルジェフへの憧憬の原型を持ち、知識は捨てるほうがいい」なんか舞台に立った生き方みたいな? デカルトを実践するみたいな。
  • http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0617.html

    castle
    castle 2007/03/21
    「想像を絶する奇書なのである」「予告や弁明や言葉の量が多いだけではない。よほど20世紀神秘主義に詳しい者でも、最初は戸惑うばかりの造語が溢れている」「代名詞が雨あられと繰り返され、挿入句が多重に入る」
  • 50歳目前に思う教育っていうか - finalventの日記

    私は結局学問的には大成しなかったが、30歳くらいまではけっこうアカデミックに勉強していた。けっこうというのはいろいろ含みがあり、単純にいえば、25歳以降は自由に好き勝手な勉強というか関心の探求が増えた。 それがいろいろあって30代前半には学究的な領域からは離れた。 こういう言いかたもなんだが、ただ、勉強癖みたいのだけが残った。私を比較的よく知る人は、またなんか勉強してんの?とか言う。ま、ほかにたいした趣味もない。 知識というのは、そのフレームワークが時代とともに変わる。アカデミックな領域もけっこう流行というのがある云々。で、知識というのは時代とともに廃れる。新刊書と似ている。あと、酒とかいわゆる男の趣味みたいのは、時代とともに腐る。ブログなんかで男の趣味みたいなものを披瀝している人はその腐臭に気が付かないのだろう。 50歳目前に思うのは、教育のなかで、何が残ったかな、と。 語学は残る。もち

    50歳目前に思う教育っていうか - finalventの日記
    castle
    castle 2007/03/21
    「知識というのは、そのフレームワークが時代とともに変わる。アカデミックな領域もけっこう流行というのがある云々。で、知識というのは時代とともに廃れる」「生きていく基本は料理、掃除、あるいはお金の扱い方」
  • warota 日本刀は朝鮮刀の pakuri 明白な証拠! 写真添付

    ■■■ 404 File not found... ■■■ あなたが指定したファイルは見つかりません... URLに間違いがないか、再度確認してください。再読み込みしてください。 『TOK2.com』 http://tok2.com/

    castle
    castle 2007/03/21
    「韓国起源の「倭式刀」…」w「現在の科学力でも古来の刀匠の技術を再現できない。これは芸術の域まで達してる」「歴史では、日本の主力輸出品が刀であることから海外にたくさんの日本刀があっても不思議ではない」
  • 剣術 - Wikipedia

    剣術(けんじゅつ)は、日刀で戦う武術である[1]。 概要[編集] 剣を使用する古武術であり、現代日の武道である剣道の母体となった。 「剣術」という名称については、中国では片刃の「刀」と両刃(諸刃)の「剣」が明確に別の武器であると認識されているが、日では刀と剣を区別せずに認識したことで、「刀剣」として曖昧となってしまった。日では中国から伝来した両刃(諸刃)の剣(つるぎ)が廃れ、蕨手刀の流れを汲む片刃の日刀(かたな)へ完全に移行してしまったためである。「刀術」という名称もあるが、『朝武芸小伝』など極少数の江戸時代の文献に使用されただけで、定着はしなかった。 日における「刀」という言葉は中世(平安時代~戦国時代)では短刀を指し、刀剣といえば太刀のことであった。刀が刀剣(打刀・太刀)を表すようになったのは近世(安土桃山時代)からである[2](古代では刀を「たち」と読み、直刀を指した)

    剣術 - Wikipedia
  • 聖霊 - Wikipedia

    聖霊が鳩のかたちをとって降ったとされる聖書の記述(マタイによる福音書3章16節など)を基に作られたステンドグラス(サン・ピエトロ大聖堂内、1660年ごろ制作)。 聖霊がイエス・キリストの弟子達に降ったとされる聖書の記述(使徒言行録2章3節)を基にした、ペンテコステのイコン(18世紀ロシア)。神の母マリアもこの場面に画かれている。 聖霊(せいれい、希: Άγιο Πνεύμα、羅: Spiritus Sanctus、英: Holy Spirit、主にカトリック教会やプロテスタントでの呼称。日正教会では聖神゚:せいしん[注 1][1])は、キリスト教において三位一体の神の位格の一つ[注 2][2][3]。聖霊について論じる神学を聖霊論という。 項で扱う聖霊に漢字「精霊」を当てるのは誤字(もしくは誤変換)である[注 3][4][5]。 概要[編集] 広く「第三の位格」とも説明される一方で[注

    聖霊 - Wikipedia
    castle
    castle 2007/03/21
    「聖書では火の柱、燃える藪、霊的な息吹といって神秘的な秘蹟の記述で。霊的な息吹「風はいずこより来たりて、いずこへ行くかを知らず。されど、風の吹くところいのちが生まれる」と訳されこの「風」がルーアハ」