陰暦 七月十三日 一番わかりやすいのが有名な中大兄皇子(天智天皇)と大海人皇子(天武天皇)で、中大兄皇子は葛城皇子、河内皇子という別名を持っていて、子供にも河内 の地名を関した名前の人たちがいて、河内から飛鳥にかけて基盤を持っていたと推測されています。このあたりは帰化人の痕跡も多く、中大兄皇子は百済救援の 大遠征を行ったり、百済の亡命者を大量に受け入れたりと、朝鮮半島と関わりの深い人物でした。 大海人皇子は北陸〜丹波〜近江〜尾張〜伊勢のあたりの氏族に基盤があったらしく、壬申の乱の際には尾張や北陸の海人族系の氏族から支援を受けて近江朝廷の機先を制して東国の兵力を掌握しています。 太陽神天照皇大神(あまてらすおおみかみ)を祀る伊勢神宮が朝廷の守り本尊として確立したのも天武天皇の治世です。 横道に逸れますが、壬申の乱で敗北した大友皇子の母親は伊賀氏であり、伊賀は中大兄皇子と大海人皇子の勢力の接触