八重の桜で内戦による国の分裂を心配する新島襄が出てきた。どうも八重の桜は、憎しみの連鎖を断ち切る思想とキリスト教を持ってこようとしているみたいだけれど、これって史実に合うのかしら? 新島襄の生涯は全然知らないから拍子外れのことを言っているかもしれないが、新島襄は一等国になるためのエチケットとしてキリスト教を日本に移入しようとしたのであり、明治に日本に入ってきたキリスト教をアガベーの視点で受け入れた人ってほとんどいないはずなんだよね。 まあそれよか明治から昭和にかけて入ってきたキリスト教と社会主義者との関係の法に私は興味がある。一神教と財産共有制の開拓団という組み合わせは、開拓時代の米国や現在のイスラエルのキブツでも見られるのだが、日本でもキリスト教と社会主義というのは分かちがたく結びついている。これは幕末の横井小楠から見られる根が深い現象。そして天皇制廃止の運動ともつながる。 幕末に生じた