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2024年1月20日のブックマーク (3件)

  • 坂口安吾 織田信長

    立入左京亮(たてりさきょうのすけ)が綸旨二通と女房奉書をたずさえて信長をたずねてきたとき、信長は鷹狩に出ていた。 朝廷からの使者は案内役の磯貝新右衛門久次と使者の立入とたった二人だけ、表向きの名目は熱田神宮参拝というのである。 信長へ綸旨と女房奉書をだしては、と立入左京亮から話を持ちかけられた万里小路(までのこうじ)大納言惟房(これふさ)は、おまえ大変なことを言う、さても、困った、困った、と言った。 信長という半キチガイの荒れ武者がどれほど腕ッ節が強くて、先の見込みのある大将だか知らないけれども、目下天下の権を握っている三好一党と、その又上に松永弾正(だんじょう)という蛇とも妖怪ともつかないような冷酷無慙なジイサンの睨みが怖しい。まったく弾正久秀という奴は蛇も妖怪も及びがたいジジイだけれども、たまには米もたらふくいたいし、冬には温いフトンも慾しいじゃないか。雲の上人とは、よく言った。雲の

    castle
    castle 2024/01/20
    ※未完。「達人ほど自信がない。怖れを知っているからだ~だから、自信というものは、自分でつくるものではなくて、人がつくってくれるものだ」「信長は義昭の心を信じなかったが、老蝮(悪党)の信義を信じていた」
  • 坂口安吾 安吾巷談 麻薬・自殺・宗教

    伊豆の伊東にヒロポン屋というものが存在している。旅館の番頭にさそわれてヤキトリ屋へ一パイのみに行って、元ダンサーという女中を相手にのんでいると、まッ黒いフロシキ包み(一尺四方ぐらい)を背負ってはいってきた二十五六の青年がある。女中がついと立って何か話していたが、二人でトントン二階へあがっていった。 三分ぐらいで降りて戻ってきたが、男が立ち去ると、 「あの人、ヒロポン売る人よ。一箱百円よ。原価六十何円かだから、そんなに高くないでしょ」 という。東京では、百二十円から、百四十円だそうである。 ヒロポン屋は遊楽街を御用聞きにまわっているのである。最も濫用しているのはダンサーだそうで、皮下では利きがわるいから、静脈へ打つのだそうだ。 「いま、うってきたのよ」 と云って、女中は左腕をだして静脈をみせた。五六、アトがある。中毒というほどではない。ダンサー時代はよく打ったが、今は打たなくともいられる、

    castle
    castle 2024/01/20
    「孤独感に、参るのである」「宗教はともかく身を全うすることを祈願として行われている」「権力とか毒薬とか刃物とかバクダンとか、すべて危険な物を持たせないことが、狂人を平和な隣人たらしめる唯一の方法」
  • 坂口安吾 桜の森の満開の下

    桜の花が咲くと人々は酒をぶらさげたり団子(だんご)をたべて花の下を歩いて絶景だの春ランマンだのと浮かれて陽気になりますが、これは嘘です。なぜ嘘かと申しますと、桜の花の下へ人がより集って酔っ払ってゲロを吐いて喧嘩(けんか)して、これは江戸時代からの話で、大昔は桜の花の下は怖しいと思っても、絶景だなどとは誰も思いませんでした。近頃は桜の花の下といえば人間がより集って酒をのんで喧嘩していますから陽気でにぎやかだと思いこんでいますが、桜の花の下から人間を取り去ると怖ろしい景色になりますので、能にも、さる母親が愛児を人さらいにさらわれて子供を探して発狂して桜の花の満開の林の下へ来かかり見渡す花びらの陰に子供の幻を描いて狂い死して花びらに埋まってしまう(このところ小生の蛇足(だそく))という話もあり、桜の林の花の下に人の姿がなければ怖しいばかりです。 昔、鈴鹿峠にも旅人が桜の森の花の下を通らなければな